‘日記’

真の自分とは?

2011/05/22 Categories: 日記

実を言うと、ブログを書くのがちょっと面倒になって来た。
なぜか? 外的な行動のことばかり書いているからである。

確かに、一風変わった、面白いことばかりやっているかも知れない。
だけど、写真はいつも撮り忘れるしなあ、、、。
きっと、一生懸命過ぎて、写真どころではないのだろう。

なるべく読者サービスと思って、面白かったできことを書こうと、思いはする。
だけど、心から自分が人と分かち合いたいと思うのは、本当は内面生活の気づきなんだ。

例えば、今日僕が何を気づいたかというと、「自分とは何か?」である。
これがわかってしまったかも。(←ホントかよ。)

例えば、Aさんは、Aさんとして顕われた自分である。
BさんはBさんとして顕われた自分である。
この実感が、ふいに湧いた。
すると、心が広がって、楽になった。

良き人も悪い人も自分として顕われた良き人、あるいは悪い人。

これは、あらゆる人がお互いにそうである。
だから、自分と思っている自分は、本当はいないのである。

これを頭で考えないでね。
哲学じゃないから、頭で考えないで頂けたらうれしいんだけど、、、。

ところで、これを事実として認識する心のことを、
仏教では「妙観察智」(みょうかんさっち)とも言う。
諸法無我という言い方もあるなあ。

こんなことに気づいて、何か得することあるのか? 
そう聞かれるかも知れない。

事実、得をする。
人生における心の自由性が、かなり広がるのだ。

心が自由であればあるほど、人生は楽しくなる。
楽しそうな人って、心が自由そうでしょ。

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夜の清水寺で展覧会

2011/05/14 Categories: 日記

昨日は、一日の動きのことを書いたので、今日は、
一日の最後あたりのことを書いてみる。
ブライアン・ウイリアムズさんという画家がいる。



彼は、20年ぐらい前に、膝の故障でタオ指圧のクリニックに来られた。
つまり、かつて僕の患者さんだった 人だ。
膝が治ったことをいたく喜んでくれて、リトグラフを下さった。また、その後も、CDの推薦文を書いてくれたりし た。
ご家族みんなでCDを聴いてくれているそうだ。
ブライアンさんは、何かの節目ごとに出会う人である。

さてブライアンさんは、清水寺をライトアップして行う、一 夜だけの展覧会を開いた。
それに招待して下さったので、夜出かけて行ったのである。
実 は、夕方からのブライアンさんを囲む、特別な会もあった。だが、それに気がついたのが、何と今日のこと。
出席か欠席かの 返事すら出せなかった。申し訳なさで、うわごと言うほど後悔したが、もう遅い、、、。
清水寺は、たくさんの人でごった返していた。ブライアンさんの人気のほどがわかる。そして、テ レビの取材らしきものが行われていた。
その後、人ごみの中でようやくブライアンさんと話すことができた。

その後、ビックリしたのは、精華大の先生で、京都ジャーナルの編集長である、ケン・ロジャースさんと奥さんのユリさんがいたことであ る。
ケンとは、ここ数日、何とか会ってフライヤーを渡そうとしていたので、この偶然にも感謝である。

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今日も長い一日

2011/05/13 Categories: 日記

一日の行動をブログに少し書いてみようと思った。
チャリティイベントまで、あと何日だろう?

午前中、家でメールのワーク。
そ の後センターで、スー(イギリス人施術者)が患者さんを診るのを少し手伝う。


<12:45 pm   京都のイスラム文化センター>
UNIチャリティフェスティバルでは、パレ スチナコーナーが出店する。僕がパレスチナの難民キャンプで 会った、日本アラブ未来協会 の田中さんによるものだ。

そんな関係で、昼過ぎに、京都のイスラム教寺院へ行った。あらかじめ、モスクリーダーのセレムさんとは、金曜日の礼拝後とい うことで ア ポイントを取っておいた。

セレムさんはトルコ人。トルコ料理の店に卸す材料の会社をやっているそうだ。
セ レムさんとのアポイントを取りつけた時点では、僕はアラブ料理の出店を提案するつもりだった。しかし、すでに出店希望の方も多く なって来たので、イベントの説明をしたり、フライヤーを置かせてもらったりするにとどめた。

イスラム教は、布施もまた大切な要素だ。そのためだろうか、話していたら、セレムさんの会社でトルコ料理の提供もしてくれそ うな雰囲 気だった。
それにしても、こうして被災者支援というチャリティイベントを通して、いろいろな人と繋がって行くこと に、とても楽しさを感じる。
これがビジネスだったら、こんな楽しさはないだろうなぁ、と思う。
もっとも僕は、ビジネスをやった ことがないから、まあこれは勝手な推測である。

イスラム寺院を出てしばらくしたら、ブログのための写真を撮るのを忘れていたことに気づいた。しかし、後の祭りである。
京都 のイスラム文化センター。日本なのに、イスラム系の人たちでごった返している。僕も始めて見た光景だ。思わず、「マサレ ミ!」(うろ覚えのアラビア語で、”こんにちわ”だったような気がする)なんて言ってしまった。
ここの光景。写真で、皆さんにお見せし た かったなあ、と思った。
帰り際に、僕がセレムさんに言ったトルコ語の「ありがとう!」(ティシュクレ
エドリム)は、間違っていなかったようだ。喜んで笑顔でしてくれた握手が、とても力強いものだったから。
実は、「ティッシュをくれ、エ ドリム」で覚えていたのだ。

<2:30pm  オレンジの会>
以前からつながりのあった、引きこもりの人の支援をして いるNPOオレンジの会とお話ししに行く。そこで理事長の稲垣さんと、初めて お会いする。
バザーを出店し、10人がイベン ト当日のお手伝いして下さるという。
これは、ありがたい助っ人である。
そして僕は、ここでも写真を撮るのを忘れる。

<7:30pm チャンドリカ>
「今度こそ写真を撮ろう」と思いながら、ハー ブティー出店の申し込みをされた、チャンドリカという人に会いに行く。ここ数日、メー
ルと電話だけでコミュニケートしていたから、顔は 知らない。
しかし会うなり、「どこかで会いませんでしたか!?」という言葉が、僕の口をついて出た。何だか、前から知ってい るような気がしたか らである。
次に、日本語と英語のどちらで話すのが良いかを聞き、英語で話すことになってから、会話がスタートし た。聞けば、昨年のビーガンアース デイで僕らのバンドのステージを見てくれたと言う。
ところがどっこい。それだけではなかった。
タオ指圧のことは、イスラエルやらインドやらで聞いていて、タオサンガセンターで、チャリ ティ施術も何度か受けたとのこと。それにサ
ンガメンバーの磨弘さんのことも知っているというではないか。な〜んだ。やっぱり どこかで繋がっていた人だったのね、という感じであ る。
喫茶店を出てしばらくしてから、また写真を撮らなかったことに気づ いた、と言いたいところだが、事実は違う。今、書いていて気づいた
のである。結局、今日一回も写真を撮らなかったな、、、。

<8:30pm ペーター/ドイツ料理店>
「きっと普通に探したので は、絶対に見つからないだろうな」というのが、イベントに出店し、ミートボールを出してくれるという、ペー ターさんのドイツ料理店の場所である。たまたま、そこの近所の旅行代理店KRKで、いつも僕は航空券を買っていた。そこの山本さんに 聞いてみたら、連れて行ってくれたのである。

夕食時に行ったけど、店は閉まっていた。
電話番号をメモして来なかったので、フライヤーを郵便ポストに入れて帰る。
自転車をこぎながら、ペーターにイベントのことを 紹介してくれたドイツ人、ベッティーナに電話。ペーターさんには、僕がフ ライヤーをポストに入れておいたことを伝えるようにと頼む。ド イツ料理店は、イベントでミートボールを出し
てくれるそうだ。

これが今日のスケジュールの一部。
もっとも合間 (4pm−6pm)には、
ウィーンメンバーのハイケから入って来たメールの返事があった。
ウィーンで製作中のDVD「気心道とタオ指圧」の訳についての
質問。メールでーつーつ答えなければならなかったのですよ。ヒィー。

ウィー ンで制作しているのは、英語、イタリア語、ドイツ語、スペイン語版。
向こうの製作所の関係で、イタリアでは今日が締め切りだと言う。そ れは、僕らも行くことになっている、5月27日からイタリアで開催
される代替医療のイベントに間に合わせるためだ。イタリア のロリダナたちをサポートするため、ヨーロッパ各地のタオ指圧メンバーも集まることになっている。要は友情ですよ。
ちょっと遠いけど、「走れメロス」の気分で僕らも行くのである。
だからイベントの翌朝に、関空か らフライトである。

ところで先ほどのハイケは、念仏で不思議な体験をした人。7月が出産予定である。きっと、でかい腹を抱えな がら、がんばっているのだ ろうなあ。
赤ちゃんにミドルネームを付けてくれというので、文殊の智慧のMonjyuにしたら? と言ったら、本当にそうするという。責任感じるなー。
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ブログを書ける日と書けない日

2011/04/23 Categories: 日記

ブログというのは、時間を削って書くものだが、その削る時間すらない日々もある。
何も更新していない時は、かえってそんな場合かも知れない。
ここ数日の間にやったことを、ざっと並べて書こうとしたら、考えただけで疲れるような気がしてやめた。

そう言えば、十年も前に、ある外国人の女性に “あなたの生活を想像しただけで疲れるわ” と言われたことがある。 そうか、そういう意味だったのか、と今になって、妙に納得した。まあ、いいや。

今日は、祖牛さんと、震災チャリティ・イベントの場所のチェック。
祖牛さんは髭を伸ばしていて、まるで老子みたいな風貌。

でも、つぶらな瞳を持った人である。

そぎゅうさん

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サボれなかった新刊撮影の立ち会い、他

2011/04/19 Categories: 日記

指圧関連書籍の新刊の撮影

今日は朝から、指圧関連書籍の新刊の撮影。

モデルは東京センターの指導員の後藤りゅうさんとあかねさん。
自分は写らないから、のんびりと立ち会うつもりだったのだが、結局そうもいかず、午後3時までハードワークだった〜。

撮影してくれたのは、雨森慶為カメラマン。
本願寺にお勤めの浄土真宗大谷派のお坊さんである。彼の写真も、タッチが良い。

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夜は、震災チャリティイベント/コンサートの相談のために、祖牛さん(元比叡山のお坊さんで、パーカッションをやる人)と会いに出かける。
会ったのは、田中優さんという人の講演会場。この講演が実に素晴らしかった。

田中優さんの講演

心に止まったのは、日本にはクリーンエネルギーだけでずべてやっていけるだけの技術もノウハウも十分にある。それによって、毎年23兆円という海外からのエネルギーの輸入の費用が不要になる。また、その分を回すことで地域経済も活性化するし、日本全体が良くなる。という部分。

田中優さんの講演は、今まで直感的に何となく思っていたことを、極めて具体的でクリアーにしてくれた。他の人々にもぜひ聞いて欲しい話だと心から思った。

( 田中優さんの講演→http://www.ustream.tv/recorded/14058798 19:00過ぎからはじまります)

ところで祖牛さんとは、沖縄から台湾に向かう船の中で知り合い、三週間一緒に旅した。
プロジェクトについては、まず企画書を書いて、具体的に話を詰めて行こうということになった。

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夜、アメリカサンガのデボラから支援金1000ドルの送金の知らせ。京都センターからは、第三次の物資送付の作業が終わったところだったが、現地の物資不足を思えば、支援はいくらでも必要である。

聞けば、未だに風呂も入れずパンとお握りしか口にできなお避難所が、まだ16もあるという。胸が痛む。少しでもさらに支援をと思うので、アメリカからの送金は、温かくてありがたかった。

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それでも行脚の旅は続く

2011/03/22 Categories: メディア 日記

日本での報道はネットでしかわからなかったのだけど、ヨーロッパでは「放射能汚染によって日本壊滅か?」ぐらいのムードだった。
実際、ルフトハンザ/ドイツ航空は、東京着の飛行機をすべてキャンセル。
日本在住のドイツ人に日本退去を勧告していたようだ。
フランス大使館は、日本在住フランス人に、「しばらく関東を離れるように」と勧告。
成田は日本を脱出する外国人で一杯。成田で購入する航空券を求めて2000人以上が夜明かししたとのことであった。
連日、そんな報道を耳して、痛恨な想いにかられながら、予定のスケジュールを必死にこなして行った。
この時の気持は、何とも説明がつかない。自分の未来がなくなったことに対して(と、まで思っていたので)あったのは、諦観の静けさ。ひっそりとした奇妙な明るさであった。

それはともかく、タオ指圧のワークショップが終わった後は、オーストリア国内三カ所での講演と治療デモンストレーションの行脚の旅が待っていた。というのは、今月、「<気と経絡>癒しの指圧法」(講談社+α新書)のドイツ語版が出版された。
それで、ウィーンのタオサンガセンターの紹介のために、本のプロモーションを兼ねて、ちょっとオーストリアをツアーしようかということになっていたからである。
アルフレッドに、「日本がこんな状況なんだから取りやめようか?」と言われたのだけど、すでに新聞には掲載されている。だから、”これは自分のミッションだから”と返事した。でも実際、日本のことが片時も頭を離れず、通常の100倍ぐらいの集中力が必要だった。


写真は、Durnbin (ドンビン) という街での講演と治療のデモンストレーション。会場は、近代的な大きな図書館の講堂である。三枚目はオーストリアのフォアアールベルク新聞(VN)に掲載された記事(拡大版PDF:260MB

 

新聞に掲載された遠藤喨及インタビュー記事

 

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痛みを胸に秘めて、ワークショップ

2011/03/16 Categories: 日記

“死の当日、自分は何を考えていることだろうか?”
なぜかそんなことを、ふと考えていた2日間だった。
そして、その3日目のことである。
深夜に何気なくネットのニュースを見て、日本の天変地異を知り、
呆然となった。

翌朝からは、混乱する頭と痛む胸をこらえながら、ワークショップを行う。
連日、深夜に何度も起きては、ネットのニュースを見ながら、二日間のワークショップを終える。

その翌日は、チェコ語の翻訳を出したいという出版社と会うために、
チェコに行く予定だった。
しかしアルフレッドの提案で、急遽、予定を変更。
ウィーンのセンタ−で、日本祈願のための不断念仏を行うことになった。
そして念仏は、会社を休むことができた六人のオーストリアのメンバーと、6時間休むことなく続けられたのだった。
かつて日蓮上人も、元寇という国難の際に題目で祈祷されたように、私たちも念仏でお祈りした。これは、カナダや日本のセンタ−でも、時を同じくして行われたようだった。

すると、皆んなからは、口々にお見舞いやらお悔やみの言葉を頂く。
アリス女史からは、“家族で日本からオーストリアに疎開して”と真顔で言われる。

また、アルフレッドからは、“ワークショップを中止して、日本のための祈りの念仏会にしよう”とまで、提案される。

でも僕は、参加者の皆さんに、開口一番に、以下のように挨拶した。

「今、日本は大変なことになっているようです。
さて、皆さんは、明日、世界の終わりが来るしたら何をしますか?
僕は、もし明日、世界が終わるとしても、今まで自分が
やって来たことを、悔いることなくそのまま続けていると思います。」

そう言って、いつもと同じように、ワークショップを始めたのだった。

 

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フランクフルトに到着

2011/03/11 Categories: 日記

約12時間後、フランクフルトに到着。

空港からは、電車で中央駅まで。

フランクフルトに二日間立ち寄ったのは、ドイツでの今後の活動について、

ヨーロッパ/サンガ代表のアルフレッドさんと話し合うため。

翌日の昼に着いたアルフレッドと、何はともあれランチを、と言って入ったトルコ料理の店。

豆スープが美味かった!

2日後、空港からウィーンに向かう。

いつも、思うんだけど、フランクフルトから、ウィーンに行くルフトハンザの航空機は小さい。

いつだったか、何と! プロペラ機の時もあったぞ。

 

ネットで何気なくニュースを見たら、 日本の各地で地震が発生していることを知った。

今、呆然とニュースを見ているところ、、、、。

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ヨーロッパ

2011/03/10 Categories: 日記

ヨーロッパで、タオ指圧と念仏のワークショップの他、(やることが書き切れないぐらい)たくさんあって、フランクフルトに寄った後に、22日までウィーンに滞在。

行きは成田経由になったため、前日に伊丹空港のホテルにステイ。
写真1、2は、空港ホテルのレストランと、屋上からの空港の眺め。

「さて、くつろごう」と思ったが、今年出版予定の新刊の画像のことやらCDの新譜の他、さまざまなことで、結局深夜2時頃まで、電話とメールとでごった返してしまった。

うぅ、朝眠いぞ、。と、写真3、4は、朝の空港の喫茶室と、機内から撮った空の写真。富士山が映っているはずであったが、、、。

 

 

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ウェルカム トゥ ジャパン

2011/03/07 Categories: 日記

昨年10月、ソウル近郊のカンファド島で行われた、
「日韓平和祭」のイベントにライブ出演した時の映像データを、
ソウル在住のダッチョーさんが持って来てくれた。

写真は、お礼にと、しゃぶしゃぶを食べに行った時のもの。
中央がダッチョーさん。カップルでインドやチベットを旅すると、
ケンカばかりになるという、バックパッカーの普遍的な伝説話で
盛り上がる。が、これは事実である。

 

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