2011年7月の記事

パレスチナに自由を!

2011/07/26 Categories: 日記

国連でパレスチナが国家として承認される可能性が出てきたことを、カナダ在住の茂木さんからのメールで知った。
そこで、慌ててそのお知らせメールを知り合いに送った。

二年前、パレスチナから帰ってきた時の僕は、二、三か月もの間、パレスチナ問題だけが頭の中を占領していた。
毎日のように、ネットで迫害されるパレスチナ人の映像を見ては、そこにいた自分を思い出し、熱く義憤にかられていたのだ。

イスラエル軍に家を不当に追い出されて、ホームレスとなり、僕が路上でボランティア指圧した東エルサレムの家族がいる。
彼らは、アメリカのクリントン国務長官が「イスラエルのあの家族への人権剥奪は、遺憾である」と言及するほど、
いつの間にか国際的にも有名になっていった。

やがてその路上は、インターナショナルの支援者とイスラエル警察の小競り合いの場になり、
催涙弾が飛び、支援者は逮捕され国外退去させられていった。

あの家族のお父さんは、僕に語った。
「宗教や国籍の別なく、こうして私たち家族を気遣ってくれる海外の人々がいてくれるから、私たちはまだ人間を信じることができるのです」、と。
あの時のお父さんの、泣き笑いのような顔が忘れられない。

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ご縁の皆様へ

僕は二年前に、パレスチナでワークショップやボランティア活動、また非暴力抵抗運動のデモに参加して、
現地の人々の苦しみの実態を体験しました。

そして、永年イスラエルの占領下で苦しんで来たパレスチナ人たちが、一方的に狂信的テロリストという、
イメージの烙印を押され、これによって、パレスチナ人の土地を奪い、人権を奪い、自由を奪うイスラエル占領政策の実態が、
世界から隠され続けていたことを、自分の目で見て知りました。

例えば、ナチス占領下のヨーロッパで「正義のレジスタンス」と呼ばれていたような抵抗運動が、イスラエル占領下のパレスチナでは「狂信的テロリスト」の行為として、
世界に報道され続けて来たのです。

しかしここで、パレスチナが国として承認される可能性が浮上しました。7月29日に国連安全保障理事会で、イスラエル—パレスチナ問題が話し合われることになっていますが、パレスチナ独立の承認決議が為されるかも知れないのです。

Avaazとというボランティア団体が嘆願書への署名を集めています。

http://www.avaaz.org/en/independence_for_palestine_uk/?fpla

(このページの日本語版を探したのですが見つかりませんでした。署名の仕方は、右側にFirst
time here? と書かれているところの下にName, Email, Postal code(郵便番号)を書き入れ,
CountryでJapanを選んでSENDを押すだけです。)

ぜひともパレスチナの民衆の苦しみを救うため、急ぎの拡散をお願いします。
国連の理事会が7月29日なのです。

NPOユニ 遠藤喨及

 

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【いきなりホームレスになった子ども。家の前には、自動小銃を構えた兵士がいて入れない。】


【お母さんは、「あなたが世界の人々にこの実状を知らせて欲しい」と僕に訴えた。】


【、、、、、涙なしにはできなかったスよ。】

 

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文殊くん、誕生!

2011/07/22 Categories: 日記

西洋人には、便利なことにミドルネームというのがある。
例えば、マーティン・ルーサー・キングだったら、ルーサーがミドルネームである。
もっとも便利と言っても、せいぜい”どっちか好きな方を呼び名にできるから選択肢が増える”といった程度のことに過ぎないのだが。

さて、西洋人の念仏者の中には、このミドルネームに、東洋的な名前を付けたいという人がいる。 実を言うと、「えんどう」くんというミドルネームを付けられてしまった子もいる。 それは、突然かかってきた国際電話で「”ミドルネームにえんどう”って、付けていいか?」と 聞かれて、冗談かと思ってOKしたら、、何と本当だったということである。
自分の息子に”えんどう”というミドルネームを付けたのは、中東の、とある小説家。
かつて、タオ指圧と念仏をしていた人である。 お父さんの彼の名前は、”ウジー”。
実は、同じ名前の機関銃があり、それがいやだと言っていた。 「えんどうくん」、今ごろどうしているかなあ。

さて、「ミドルネーム何にしたらいいかな〜?」と聞かれると、今は菩薩名を提案したりする。
西洋だって、大天使ガブリエルとかの名前を付けるから東洋は菩薩名で、と単純に考えただけだが、、、。
5月のブログに登場した”観音くん”は、こうして決まった名前。
そして写真が、先週生まれたばかりの、”文殊くん”。
「ミドルネーム何にしたらいい?」と聞かれ、”智慧深くあれ”ということで提案した。
そうしたら、あっけなく文殊に決まってしまったのである。
原発にも同じ名前があるが、なに、かまうもんか。
どうせ原発はすべて止るんだから。でないと、未来ないもんね。

 

ところで、お母さんのハイケという人は、念仏で霊的な体験をした人。
念仏の波動は胎教には最高だから、どんな子に育つか、今から楽しみである。
観音くんも、一日中ニコニコしているような子である。

どんな子どもも、笑顔でいられるように。
いつも、いつもそう思う。

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バックパッカーつながりで新刊発行

2011/07/09 Categories: 日記

一緒に写っているのは、東洋医学の出版社、「ヒューマンワールド」社長の石井利久さん。無料メールマガジン「週刊あはきワールド」も発行している。
石井さんは、「医道の日本」という東洋医学の老舗出版社の編集長だった人である。「医道の日本」の時代から、僕とタオ指圧の良き理解者であった。
久々にお会いしたのは、新刊「タオ指圧、東洋医学の革命」の打ち合わせのため。遅くとも、秋までには刊行される。
それにしても、縁とは不思議なものである。なぜ、石井さんのところから、僕が心血を注いで執筆した一冊が出ることになったのか?
東京センターの近くの「モツ煮込み」の店で、一緒に一杯やっている内にわかった。
なにせ彼も僕も、同じバックパッカーで、インドやアジア諸国などを貧乏旅行していたのだ。ほぼ同じ時期に、カルカッタのサダルストリートにある「パラゴンホテル」という、一泊数百円の安宿に泊っていたことも判明。
旅人同士なら、つながるのは当然である。なにせ85年—87年頃のインドでは、同じ旅人というだけで、どこの国の人間だろうと、すぐに友だちになったのだ。(今、そんな雰囲気があるのはパレスチナ)

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人の心に潜む、神秘の扉を開きたい

2011/07/06 Categories: 音楽

“楽器ができて良いですね”と言われることがあるが、実は、喜びは苦しみを内包している。
そしてその苦しみは、「一体なぜ自分は、こんなに激しい音楽への衝動を背負って生きなければならないのか?」を、僕によく考えさせた。
曲を生むことでしか救われない想いに陥っている時、曲が生まれる。
少なくとも僕自身に限って言えば、創造は、自らの心の負の要素を土台としている。

でも、最近気づいたことがある。それは、僕の音楽への衝動が、人にスピリチャルな体験をもたらしたいという想いと、交じり合っているということだ。
音楽は、神秘への扉である。人々の心に潜む、その神秘の扉を開きたい。
僕は、そんな激しい衝動を背負っている。これに気づいた。自分のキャラでもないのに、念仏サンガなどをやっているのも、きっとそのためだろう。
そして僕は、誰がいても、それがどんな場所であっても、まるで音楽の神の前に、投身するかのような想いで演奏する。
さて、アースガーデンという、東京の代々木公園で定期的に開かれているイベントで、演奏させてもらった。
主催者の南兵衛さん、ありがとう。

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