2013年1月の記事

自分の性が選べるタイ/       旅の第2ラウンド(1)        

2013/01/22 Categories:

ダッカからタイへ

 ダッカからバンコクに向けて出発する朝、思わぬアクシデントに見舞われてしまった。

 というのは、一週間に亘って朝昼晩ラカイン料理を食べ続け、少々食傷気味だった僕は、ダッカの中級ホテルの朝食メニューに、ダル(豆カレー)があるのを目ざとく発見した。

 思わず、“今日が最後だしなー”と注文して食べたら、これに二人とも当たってしまったのである。

 まゆさんは、食べた直後に戻したので軽症ですんだ。が、男の僕にそこまでの生物的本能はない。ちょっと悲しかったな。うぅ、くそー。

 と言っても、その後2、3日お腹の調子が悪くて日に何回か下した、といった程度で済んだのだけれど。最近飲んでいるmmsサプリメントのお陰かも知れないなあ。

<ダッカの空港>

<銃を持って警備する人もいる>

<代書屋にボラれた。くそー>

ダッカの食あたりを挽回

タイに来たら、さすがに3日ほど休んだ。プールで泳いだり、ダッカの食あたりを挽回する、と称して豪華な夕食を食べたりして、落差があるだけに、一転して至上のぜいたく気分。土埃のない快適なところに自分がいるのが、何だかラジョーさんに申し訳ないような気もしたが。

それでも僕のモットーは、「1.面白いことは見逃さない 2.悩む前にまずやってみる 3.人生何ごとも万遍なく楽しむ」なのである。

<アジアでワインを注文するなんていう贅沢(?)まで。落差に何だか少し申し訳ないような気もしたが>

パタヤの床屋 

床屋にも行った。刈ってくれた理容師さん(?)が男か女か、僕は最後までわからなかった。(前にパタヤでよく行っていた床屋さんもニューハーフだった)

 この辺は、僕がタイの大好きなところである。

タイでは自分の性を、自分で好きなように選べるのだ。

<床屋さんを訪ねると>

<この人が刈ってくれた>

 例えば、顔はどう見てもおじさんなんだけど、女装してお化粧している人が、食堂の店員さんとかでも普通にやっていたりする。

 タイのこのおおらかさ! これは文化が発達している証だと、僕は思っている。続く

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バングラデッシュで正月を(3)   いたたまれない感情をもてあますとき

2013/01/20 Categories: バングラデッシュ支援

1月3日 ダッカへの移動日

 ラジョーさんのお経の稽古をやった後、経理を済ませて空港へ行く。

 別れ際のラジョーさんは、いつも淋しそうな感じで、僕はつらくなってしまう。

 “タイのタオサンガ世界大会に、ラジョーさん呼ぶからさー。7月に会いましょうね”と励まさないと、とても彼を残して僕は帰れない。

 

<空港の別れ際でのラジョーさん。出迎えてくれたときと表情が全くちがうのがつらい、、、>

 ダッカでは、ナジャーというラカインの学生が出迎えてくれた。

ダッカ

 ところでダッカには、親も家もないストリートチルドレンと呼ばれるホームレスの子どもたち数多くいる。

 ゴミ集めを生活の糧にしているが、愛情に飢えている彼らは、大人の変態性欲者たちの餌食になる。

スキンシップが欲しいが故に、幼い少年や少女が、インドやパキスタンからやって来るヒヒ親父の性具にされるのだ。

<ゴミを集める少年>

<1>

<2>

<3>

<4>

なぜこんな子どもの内から、ゴミ集めをして生きなければならないのか。

なんでキタねー大人の餌食にならなきゃならないんだ。

 性具にされた結果、傷ついた身体の痛みを忘れるために、子どもたちは麻薬をやるようになるという。

 だから、ゴミ集めを生活の糧とする子どもの姿を見ては、僕は、ふと熱に浮かされたように夢みる、、、。

彼らのための孤児院を造りたい、と。

少しでも幸せな未来を作る手伝いができたら、と。

 痛みとも怒りともつかない、いたたまれないような感情を持て余し、ふと熱にうなされるように思ってしまうのだ。

 ダッカに行ったら、ストリートチルドレンが多く暮してるという、公園に行くつもりでいた。

だが、ホテルからは、かなり遠いところにあると聞いて、今回は断念する。

実は、 ナジャーに相談があると言われていて、夕食を一緒にしながら話を聞くことになっていたのだ。

 、、、、明日、ダッカを旅立つ。

<ダッカの街は、大通りでも信号がない>

続く

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バングラデッシュで正月を(2)   支援を本物にできるかは?

2013/01/19 Categories: バングラデッシュ支援

1月2日  マレフン村へ

他のラカイン小学校を開校していくため、別の村を視察に行く。

片道3時間以上の道行き。1日仕事である。

 

やっと着いた!

村の中をいろいろ案内してもらう。大きな村ではないが、寺は3つある。

開校するならどこの寺が適しているかを、いろいろ歩いて検討する。

村長さんは、まだ若いけど責任感のあるしっかりした人とお見受けした。(やっぱり基本は、責任感だよなぁ)

<村を案内してもらう>

<村の子どもたち>

<銀加工の職人の家>

 <村の井戸>

 <動物も痩せているのが痛々しい感じ、、、>

 <村のインテリ風の僧侶>

 <寺の入り口>

<この寺には、青空教室に使えそうなスペースがあった>

 僕たちは、村の人たちと、ちゃんと正面から向き合って話し合う必要があった。

というのは、一番大事なことは、「本当に効果的な支援になるかどうか?」だからである。

 支援金を大きな団体に出すだけだと、経費として使われる部分が大きいと聞いたことがある。

また、現地の政府や行政を通すと、かなりの部分が現地役人のポケットに入ってしまう。これはすでに、別の国で経験済みである。

 だからこそ直接、現地の人と協力し合って支援するというのが、NPOユニのポリシーである。

村の人とミーテングしながら、たしかなことをやっているという実感と、あらためてこのポリシーの大切さを思った。

 NPOユニが村の人に求めているのは、たとえば、村の教育委員会を作って、責任をもって先生をさがしたり、授業内容を検討したりすることである。

その他、親への説明会を開いたり、計画的や教育方針を定めていくことも含めて、諸々、自分たちで動いてもらわないとならない。

 明確な行動の裏付けがあって、はじめて生きた支援になる。それがクリアーになった上での、ユニ小学校の開校である。

 村の主だった人たちに集まってもらい、述べた。

“僕たちはいくつかの条件を出します。単に、お金を出すだけはしません。いくつかが、ちゃんとがクリアーされたら、NPOユニは動きます。

ラカインユニの代表のラジョーさんと連絡を取り合いながら進めます。いつから始められるかは、皆さん次第です”

今まで教育支援が入ったことのない村である。半信半疑だったり諦めムードがあったりする。

加えて南半球特有のゆっくりした時間の流れがあり、どうしても動きが遅くなる。

でも、子どもは年々成長していくのだ。過去のムードに流されてしまっては、ラカインの新しい時代を創ることはできない、と僕は思う。(僕が焦っても、仕方がないのだが、、、)

しかしホントに、すべては村の皆さんの敏速な動きにかかっているのだ。

<話し合う内に、こちらの熱意が伝わったのか、村人たちも真剣になって来た。中央のピンクのシャツを着ているのが村長さん>

<NPOユニの理念を説明するラジョーさん>

村でお昼をごちそうになってから、再び3時間以上のドライブ。土ぼこりと共に、やっと帰る。

だが、僕たちにはまだ仕事が残っていた。

 医者夫婦をNPOユニ・ラカインに引き込むための、最終ミーティングである。

“タオサンガは、面白いですよ〜”とか言って、僕がご主人をのせた! そして話し合いは終わった。ははは、作戦成功! “ウエルカム トゥー ユニ!”が、別れ際の僕のあいさつだった。

 

 <ラカインの医者夫妻マレニンさん>

明日が最期の日、、、。

この頃からラジョーさんの様子がどことなく淋しそうになってくるのが、正直つらい。

 夜は、“ラジョーさん、飲もうよ”と誘って、3人屋上で少しばかり、しんみりと飲む、、、。

 続く

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バングラデッシュで正月を(1)  新年会の頼みの綱は?

2013/01/16 Categories: バングラデッシュ支援

元旦

 まさかバングラデッシュで、正月念仏会をやることになるなんて夢にも思わなかった。

 朝から老若男女が、タオサンガセンターに正月参りに来られたので、僕は、念仏に先立って、ラジョーさんの通訳のもとに、少しお話しをさせてもらった。

 「念仏では、勧請(かんじょう)といって、仏さまや菩薩さまに道場に来て頂きます。

そして、宇宙大霊である阿弥陀さまの光明を宇宙一切にふり向けて(回向)頂くのです。

 昨夜の念仏で僕は、土地の神さま方も大変喜んで下さっているように感じました。

 皆さんも、ご先祖や家族、またすべての生きとし生けるものに、阿弥陀佛の光明がふり向けられるようにお祈りしながら、念仏して下さいね」

<まゆさんも、正月のあいさつ>

 皆さんで1時間ほど念仏や読経した後は、朝食の接待をする。お茶とココナッツをまぶしたもち米、ラカイン焼きそば、などだ。

 街の長老らしき人が、“日本仏教が入ったのは、ラカインの歴史上はじめてのことですよ”と感慨深げに言う。

 しかし日本仏教というよりも、明治時代に超宗派の念仏を説いた弁栄上人の教えが、そもそも世界で共有できるほどの普遍性を持つ世界仏教だったのだ。

だから僕は、「今日やったお念仏は、北米やヨーロッパなど各地でやっているんですよ。仏教は、普遍的なものだから、みんなでやったら良いですよね」なんて妙な答え方をしてしまった。

<朝食の接待>

時間が来たので、パソコンを立ち上げる。PCのテレビ電話(スカイプ)でつなげるためだ。

年越し念仏をやっている世界各地のタオサンガセンターが、Happy New Year! を同時に交わし合うのは、毎年恒例だ。

 つないでみると、おお! バングラデッシュの通信状況はまだ弱いけど、カナダと東京の声は聞こえるではないか!

オーストリアや京都もつながっているみたいなんだけど、こちらの声は聞こえない。

モンテリオールのセンターの映像が見えたので、カナダ・タオサンガのみんなと挨拶を交わす。

向こうはまだ大晦日の夜で、これから念仏らしい。

 バングラデッシュのセンターに来ているお年寄りに、“カナダで念仏する人たちですよ”と説明してヘッドフォンを渡す。

 映像を見て、ちょっと話してびっくりしている。いやー、僕も最初は、驚きましたよ、そりゃ。

こういう時は、文明バンザイである。

<女医さんの創った女性のためのセンター>

元旦でも、滞在時間が限られているわれわれは、のんびりしているわけにはいかない。バングラデッシュ自体が、特に正月気分という感じでもないし。

午後は、女医さんの造った女性のためのシェルターを見に行き、さらに仏舎利塔に行って、その後の相談。

 夕方は、ラジョーさんの奥さんにもセンターの事務を手伝ってもらうためのミーティングをする。実は彼女は、短大で英語もコンピューターも学んでいたのだ。

<階段の修復はすっかり完了している>

<いつ行ってもおじさんは、喜々として仕事をしている>

<仏舎利塔からの眺め>

<初めて奥さんを入れてミーティング>

<何をやっているのかというと、蚊帳をつっているところ。寒いくせに一丁前に蚊がいて、眠れないことがあるのだ>

<蚊帳が完成すると、一安心である>

夕食後は、屋上で3人で新年会の乾杯! 頼みのつなは、バンコクの空港の免税店で買って来たウィスキーと、まゆさんが日本から持って来た柿の種である。(彼女は柿の種を持って来るのは忘れない)

でも、それで十分じゃないか。天体望遠鏡のお陰で、月は感動ものだし、、、。続く

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年末はバングラデッシュで(4)  静けさと幸せ、、、

2013/01/15 Categories: バングラデッシュ支援 未分類

12月31日 “そういえば大晦日”

クルスクル村のUNI小学校に行く。(ここは車で40分ぐらいなので、行くのは楽である)

4人の先生がいて、ラカイン語を教えている校長は、僧侶である。

ラジョーさんの通訳で、これからどうやって、全17の村に支援を広げていくかの秘策について話す。

さて、その後は、ラジョーさんが先生たちにゲーム、CHATRANGA を教える。

すると、僧侶の校長まで、“ボッカーン”とか言いながらやっている。真面目な顔しながら面白いぜい、この人!

<おもしろ〜い!>

<そうか、こう動かすのか>

<キミ、もっと戦車を前に出した方がいいよ、とか口出しする校長。戦略眼センスあり、と見た!>

“後で子どもたちに配って教えて下さいね”と、何セットか置いていく。

 その後、各教室を回る。子どもたちに、ちょっとした心の持ち方で気がパワフルになる方法を教える。

そしたら驚いた! 案外みんな、喜んでやっているではないか!

ああ、そうか! これからは、タオサンガでやっていることを、気軽に、どんどん広げていったらいいんだな、と納得!

<おみやげを配ると、、、>

<緊張している子と、後で笑っている子とか>

<最初はいろいろだけど>

<最後はみんな、やっぱりみんなうれしい>

ラジョー家に戻ってお昼を食べた後は、ラジョー氏のお勤め(日本のお経)の練習につき合う。

なにせ夜は、学生たちも集まって、ミニ年越し念仏をやる予定になっている。ラジョーさんもリーディングするので、気合いが入っている。

ラジョーさん、最初の頃は、声がやたらでかいだけで、メロディも読み方もいい加減だった。でも、ずい分うまくなって来た。

彼は今、スカイプという、複数で同時に話せるパソコン電話で行う、お経の練習会に毎週参加しているからである。

ちなみにこの練習会は、ヨーロッパ、カナダ、日本、バングラデッシュをつないでやっている。

 その後、意を決して(というほどでもないが)シャワーを浴びる。バングラデッシュに来て以来、はじめてである。

ラジョーさんが、お湯を入れたバケツを持って来てくれる。それを少しずつ水でうめながら、久しぶりに土ぼこりにまみれた身体を洗う。

ああ、ありがたや。今日の夜は念仏会だもんな。さっぱりしなくちゃ。

 そして夜、ミニ年越し念仏会。最初僕は、2、3人でやるのかと思っていたが、十数名も来て驚いた。

そこで最初は、気の体験ワークをしたり、念仏について説明したりした。

その後、1時間ほどお勤めを行い、 終わったあと、お父さんといった感じの人が、“念仏をしていると幸せです”と微笑む。

近くにいた2、3人の人も、そうやな、と言った感じで、うなづいている。、、、僕の心には、しみじみとした幸せ感が広がった。

、、、 念仏を終え、人々が大音量で音楽を流して騒いでいる中を歩く。ふけていくコックスバザールでの大晦日の夜。

僕の心の中には、静けさと幸せがあった、、、。

続く

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年末はバングラデッシュで(3)  神秘の月

2013/01/13 Categories: バングラデッシュ支援

12/30

チョドリパラ村へ

NPOユニが先生たちの給料をサポートしている、チョドリパラ村の小学校を訪問する。車で片道2時間半の道行きである。

<バングラデッシュのタクシー三輪ミゼットは、昭和の中期に日本でも走っていた>

<途中、子どもたちにおみやげを買っていく>

<どれにしようか、と相談>

この村は、チョバ氏とラジョーさんの奥さんの出身地でもある。

 小学校は休み(冬休み?)だったが、先生や生徒たちは僕らを待っていてくれた。子どもたちが、門の前で勢揃いして花を持って出迎えてくれるので、毎度のことながら恐縮してしまう。

 80歳を超える老僧には、毎年来るたびに“自分はもう老いた。君たち、後は子どもたちのことを頼むよ”と言われ続けて来た。

 寺の境内に入ると、老僧はすでに床に臥せっており、数名の人が身体をさすって看病していた。

 顔を見合わせて、少し話しをした。(先生たちの給料を、少し上げてくれてやってないか、と言われて、“それは予定に入っているからご安心を”という。学校運営を一番気にしているのはサスガ)

しばし手を握ったり身体をさすったりして過ごす。

その後は 教室に入って、子どもたちと顔を合わせて少し話して、おみやげを配りながら、ラジョーさんがゲームのルールを解説。

<まずは、年齢の高い村人から。顔がけっこう真剣!>

<僕もお相手する>

その後は、さっそくのゲーム大会である。ファミコンもトランプもない村だ。楽しんでくれるといいな、、、。

ひとしきり遊んだ後は、チョバ氏の実家にお昼を頂きに行くと、次から次へとごちそうを出してくれる。

きっと準備が大変だっただろうなあ、と感謝しながら頂く。

帰路に着く

昼食後には帰路に着いた。夕方には、ラカインの医者夫婦とミーティングの予定なのだ。

彼ら夫婦は、いくつかの援助活動を行っている。そこで、“お互い協力して、一緒にやりませんか?”という話をしに行くつもりである。

どこの世界でも実践力のある人は少ないから、彼らは貴重な存在なのだ。

 ところで昔は、日本でも“女は三界に家なし”と言われたが(今は、お父さんに家なしかも、、、?)、ラカインの女性たちには気軽に集まれる場所がない。ファミレスもなく、しかもここは、イスラム教圏なのだ。

だから女医さんは、最近、女性たちが集まれるようにデイセンターを作ったそうだ。

また、チッタゴン丘などの山岳地域に住んでいる子どもは、貧しくて高度な教育が受けられない。

それでかねてより、勉強熱心な学生を何とかサポートしたいと考えていた彼らは、現在、その女性センターの1部を2人の学生たちに無料寄宿舎として提供しているそうだ。

いずれは大きい寄宿舎をやりたいそうだ。

 村を後にし、再び車で2時間半揺られて帰る。着いたら、おっと! すでに4時半だ。約束の5時まであと少ししかない。

ほっとする間もなく医院に向かい、1時間ほど話し合う。

 

夜、夕食後は、恒例の屋上での一杯である。ありがたいことに、ウィスキーもラカイン焼酎もまだ残っている。寒いので、多少着込んで飲む。

 持って来た天体望遠鏡で月を見たら驚いた! 月って、こんなにきれいだったんだ!。さすがに都会とは違うなー。目に焼きついて離れない。

、、、バングラデッシュで見た月は、クレーターまではっきりと、その神秘の姿を現していた。

続く

 

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年末はバングラデッシュで(2)   僕がホッとするものは?

2013/01/11 Categories: バングラデッシュ支援

12月29日

 午前中、NPOユニで修復中の仏舎利塔を視察に行く。

おおっ!花師のおじさんが、ガーデン造りにに励んでくれているではないか!

 水のポンプも造成され、すでに土地の半分がガーデン。NPOユニで修復した仏舎利塔は、さらにきれいになっていた。

<よくみたら土で、GUC RK(グローバル・ユニ・コミュニティ・ラカイン)と書いてあるではないか!>

<うしろにいる彼は、なぜかよく、ぬぼーっとして現れる。ひまらしい>

初めて仏舎利塔を見た時は、荒れ果てていて、その様子に、僕たちNPOユニのメンバーは心を痛めた。

それで数年前、仏教徒の学生たちにも声をかけて、皆んなで一緒に掃除をしたのが、仏舎利塔修復プロジェクトの始まりだった。

 その頃の様子を憶い出した僕は、きれいになっていく仏舎利塔をみて、感慨もまたひとしだった。(これぐらいの喜びは味わってもいいよね)

あと少しで、仏教の聖地公園になりそうな所まで来ている。

<ベンガル人観光客と>

<“展望台を造って一回5円ぐらい(かな?)で観光客にレンタルできるから”という、花師のおじさんの要望で、日本から持って行った天体望遠鏡を試す>

ラジョーさん曰く、“NPOユニのお陰です。会員の皆さんには本当に感謝しています” とのことである。良かったなあ、、、。

午前中は、今後の修復箇所について、1つ1つ確認しながら、3人で相談して過ごす。

 ミニゲーム大会

ところで、かつて僕が10年かけて完成させたChari-TXチャリティックスというゲームがある。

近々オンラインゲームになるんだけど、今回、このボードゲームの無料配布版を持って来ていた。

ラカインの村の子どもたちに教えて、無料配布するためである。

午後は、それに先立って、NPOユニの活動拠点であるタオサンガセンターで、ラカインの大学生や短大生たちにとミニ大会を行った。

 

<女の子たちも>

 <勝負あった!>

 <みなわりと真剣である>

どうしてホッとするんだろう?

この時、ふと思った。なぜ僕は、人がChari-TXゲームで楽しそうに遊んでいるのを見ると、ホッとするんだろう?

人々が童心に帰るのを見るからだろうか? それもあるかも知れない。

もしおじさんやおばさんたちが、缶けりとか凧揚げとかを喜々としてやっていたら、それなりにホッとするかも知れないから。いや、でもこのホッと感とは、少し違う。

自分が考案したゲームだからだろうか?           うーん、、、。もちろん、自分が楽しいと思っていることを人と共有することの喜びはある。だけど、それだけでは「ホッとする」というこの安堵感は、説明しきれないような気もする。

 では、このゲームを極めていくと奥が深くなり、将棋を極めていくことで人生についての示唆が得られるような、、、そんな要素があるからだろうか?

 でも、それだけなら、将棋をやっている人たちを見て、ホッとしたって良いではないか? でも別に、人が将棋をやるのを見ていたって、このホッとするような温かい感覚は僕には生まれない。

社会的な肩書きとは無関係

そこで、20年前のことを思い出した。“一体どうして、このゲームを創ったのですか?”と聞かれて、“孤独だったからじゃないですか?”と答えたことがあったのだ。

 その時、なぜ自分がそんな風に答えたのか、その意味を言語化できなかった。だけど、今回、ラカインの大学生たちがゲームをやっているのを見て、自分が何にホッとしているのかを考えていたら、ようやくわかってきた。

 まず僕は、“このゲームを憶えて人と楽しく遊べたら、プレヤー同士は友だちになるだろうな” と思うのである。

ここで自画自賛みたいな話になるので、まことに恐縮至極、でもお許しいただきたいのだが、このゲームを深いレベルでやると、ゲームを通じてお互いの人生観をやり取りするような所があるのだ。

飲み屋の将棋大会で僕が言うこと

 もちろん将棋にも、そういうところはある。僕は一昨年まで、毎年1月1日には「まほろば」という飲み屋で、酒を飲みながら行われる将棋大会に毎年のように参加していた。

31日の夜9時から1月1日の昼1時までは、ほぼ徹夜の年越し念仏会に出て、そのまま寝ずに、その夜は朝方までの将棋大会に参加するのである。遊びもさぼっちゃいけないしなー、と思って。

その時の僕は、“なんだそれは、サラリーマンっぽい手だなー。人間守りに入ったら終わりだぜい。”なんて、相手にほざきながらやっているのである。将棋は勝ち負けでなく美学だ、というのが僕のモットーだからである。まあ人生もそうだけど。

人生を語り合う

さて脱線してしまったので、話を戻そう。人間、表層の社会的な肩書きでつき合って、友だちになんかなれるはずがない。

世の中が貼るレッテルとは一切無関係に、人と人が言葉を通さずに、人生を語り合って友だちになる。こんな素敵なことがゲームを通してできるのだ。

僕の無意識は、それを、Chari-TX を楽しんでいる人の心の中に感じて、ホッとするのだと思う。

ゲームの根底にある願い

おそらく僕は、自分が味わったような孤独を人に味合わせたくないという想いが強いのだろう。

僕は小学生の頃から孤独を味わって来た。“誰もかれも自分とは違う。こんな悲しいことがあるだろうか?”と書いたのは、17歳の時だった。

まるで、人と共通の言語を持たないで生きて来たような想いがあるから、僕は人と無意識レベルで語り合えるツールに、ずっと飢えて来たのだ。(もちろん、音楽もその1つだし、指圧も気心道も、また念仏もそうなんだと思う)

また、だからこそ、あれほどエネルギーを注いで、10年もの時間をかけて、ゲームのルールを完成させたのだろう。

 僕にChari-TXを創らせた根底にある願いは、このゲームを通して、人と人が、肩書きも世代も無関係に、人生を語り合えるような友だちになって欲しい、ということだったと気がついた。

願いへの共感に深く感謝

今、タオサンガでは、Chari-TXプレイヤー(チャトランガーと呼ぶ)になってくれる人たちが続々と出現している。

それは人が、このゲームの根底に流れる、“孤独な人がいなくなって欲しい”という願いに、無意識に共感してくれているからではないか?

もし、そうだとしたら、いつしか第三世界の子どもたちや、養護施設の子どもたちに教えに行ったり、配布に行ってくれる人だって出て来るかも知れない、、、いや、きっと出てくるだろう。

そんなことを思っていたら、日が暮れて行く年末のバングラデッシュ、タオサンガ・センターで、いつしか感謝の気持に心は温かく満たされていた。

、、、明日から村を回り始める。

 <息子のセナ君に特訓するラジョーさん。元々彼は、思考するゲームは苦手だった。それが今回、がらっと変わってルール説明係になった。いつだってラジョーさんは、何も言わなくても僕の願いをすぐに理解して、実行してくれる人なのである>

続く

 

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年末はバングラデッシュで (1)  人生に必要なものは?

2013/01/10 Categories: バングラデッシュ支援

バングラデッシュの首都ダッカの空港に着くと、いつも焦る。その後は、拍子抜けするんだけど。

焦るのは、ダッカから現地に飛ぶ国内線までの乗り継ぎが1時間半ぐらいしかないからである。

これが電車の乗り継ぎだったら、1時間半などあったら時間をもてあましてしまう。

だけど、飛行機で国際線に着くと、まずは長蛇に人が並ぶイミグレーション(入国審査)を通り、なかなか出てこない荷物をまだかまだと待つ。(修行ができていないもんで)そしてやっと荷物を取った後に、国内線のターミナルまで移動することになる。

今回はタイ航空の到着が遅れた。このため、僕の荷物が出てきた時点で、すでに出発時間! しかも、まゆさんの荷物が1つだけまだ出てこない。

そこで僕が何をするか? 荷物を持って一人国内線まで走っていく。別に彼女を置いてきぼりにするわけではない。飛行機を停めておこうと思ってなのである。(これ本気)

ただし、バングラデッシュの飛行機は遅れるのが当たり前。2時間待ったあげく、欠航になったことがあるぐらいである。

それでも万が一、時間通りに飛ぶということがあるかも知れないしなあ、、、と思う。(この辺は、日本と常識が逆)

それで、走って行ってみたけど、案の定、出発時間なのに、まだ飛んでいなかった。それどころか、その後さらに、2時間たっても飛ばない、、、、。

こうして今回も、焦って走ったあげく、その後拍子抜けしたのである。

<バングラデッシュ国内線>

<難民のように待ち続ける、、、>

しかし、人間とは悩みが尽きないものだ。さんざん待って、欠航になったらどうしようか? などと考えるのだから、、、。

まあその時は、以前のように車の手配を頼もう。ドライバーが、12時間全力疾走のチキンレースを続ける車に乗るまでのことである、、、。

ホコリっぽい空港で、水と食料が届くのを待つ難民の如く、うだるように待ち続けた末、ようやく乗客を乗せるというアナウンス(と言っても職員が大声を出すだけ)がなされる。

そして中古のプロペラ機は、僕らを乗せてコックスバザールに向けて飛び立った。

 着いたら、ラジョーさんとチョバさんが空港で嬉しそうに待っていてくれた。

チョバさんは、今は山の中でNGOの職員として働いているそうだ。バスを乗り継いで、何時間もかけて会いに来てくれたという。ありがたいことである。

<コックスバザールの空港で、2時間待っていてくれたラジョーさん>

ラジョー家に投宿して一休みした後は、タオサンガセンターで、仏教福祉委員の人たちと打ち合わせ。

現在NPOユニでは、2つの村の小学校を開校して運営しているが、これをどうやって17ある全ラカインの村に拡大していくか?

ふたことみこと話しているうちに、僕の胸に、とっておきのアイデアが天啓のように生まれた!

夕食の後は、ラジョー、チョバ氏らとで、ラカイン焼酎や僕らがバンコクの空港でおみやげに買って来た免税品のウィスキーなぞを、ちびちびと舐める。

<チョバ氏>

<多少寒くても、ほこりにまみれても、友と少しの酒ばあればよし>

意外かも知れないが、この時期のバングラデッシュはうすら寒い。しかしシャワーは水だけ。身体は土ぼこりにまみれているが、とても水浴びする気にはならない。そのまま丸まって寝る。

朝五時半には、街中に響き渡る大音量のコーランに起されることになるけど、、、。続く

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