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2014年6月の記事

軍隊調のウエイトレスを女の子の表情に変える術はあるか?(ドービン市)

2014/06/18 Categories:

スイス国境近くのドーンビン市に移動。同じ国内に行くのに、チューリッヒ空港、つまりスイスまで一旦飛行機で行く。チューリッヒからドンビエンは2時間の距離。ライナーという人が迎えに来てくれた。

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<スイスからオーストリアに向かう途中、怪しげな雲が、、、>

 

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<うーん、飛行機雲だろうか?>

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<それとも、もしかしたら、これがウワサのケムトレイルだろうか? この後、僕は2、3日咳や鼻水が出ていた>

まあそれはいい。

ここドーンビンに新しいタオサンガ・センターができた。今回は、道場の落慶式やらワークショップをする。

創設したのは、念仏者で昨年タオ指圧指導員になったオリバーである。

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<タオサンガセンターを開いたオリバー>

(そういえば、昔オリバー君という人がテレビに出ていた。なんでも猿の染色体を持っている人間という触れ込みだった。

オリバーの背中の毛を見ると、「そういえば、昔テレビに出ていたオリバー君は、今頃どうしているだろー?」と、つい思う、、、。まことにアホな話で申し訳ないが)

道場オープンデイで何をしたら良いか?と相談された。そこで僕は、道場各部を回る、スタンプ・ラリーをしたら?と提案した。

来場者は、まず受付で道場内の地図(大きな部屋が2つと広いテラスがある)をもらう。

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<センターにはテラスまである>

その地図には順路が書いてある。(観光寺院の拝観順路みたいなものと思って頂ければ良い)

大きな部屋の四隅では、気のテスト、気と心のワーク、気心道などをそれぞれ体験して回る。

その後、チャリティー指圧の部屋に移動し、指圧を受ける、という仕組みである。

こうして来場者は、タオサンガの様々な気の世界を体験をできるという仕掛けである。

当日それを実行した。メディアの人も来て写真を撮って行った。

 

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<向かって右から二番目が生愛(せいや)さん。ローマ在住>

 

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<観音くんと。なぜ僕は、子供と一緒に写ると、その子と同じような表情になるのだろう?>

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<この時もそう。2、3年前のイタリアでの写真。こうた君とも、なぜか同じ表情で写っていた>

連日やることがいろいろあるので、ドーンビンには6日ぐらい滞在したのだが、投宿して驚いたことがある。トイレが半透明ガラスの上、何とトイレにドアがないのである!

これが4つ星ホテルで90ユーロ(1万円以上)もすると聞いて、尚驚いた、、、。東南アジアだって、シングル・ルームならトイレがあればドアぐらいあるぞ。

いっそ写真を撮ってブログに載せようと思ったが、トイレの写真を観て喜ぶ人がいるとも思えないので、ブログで文句を言うだけで我慢しよう、っと。

 

2014-05-26_07.31.25.jpg 華_

<トイレの話のお口直しに。撮影は、生愛(せいや)さん>

 

話は変わって、法要、ワークショップなどのイベント写真が続きます。

2014-05-23_18.17.36.jpg法話

<「では、これから落慶法要を始めます」と、簡単な法話>

2014-05-23_18.34.03.jpg法要

<法要>

2014-05-23_19.17.13.jpg法要大衆

<念仏を唱える皆さん>

 

2014-05-23_20.25.30.jpg法要後

<法要後のパーティ>

2014-05-25_10.32.25.jpgWS アプ

<翌日はタオ指圧ワークショップ。>

2014-05-24_16.06.34.jpgベレ

<左はスペインで指導しているベレン>

2014-05-25_15.05.45.jpgWS  全体

<タオ指圧の学びは常に直面的。時には、1人1人に向き合って話すことも>

2014-05-25_15.06.07.jpg4人娘

<右はイタリアのロリダナ。左はローマ在住の純さん>

2014-05-24_17.48.13.jpg子供1

<ワークショップ後に、子供念仏タイム>

2014-05-24_17.48.22.jpg子供念仏会

<子供たちも念仏して欲しい、と見守る母アリス>

 

2014-05-25_20.53.19.jpg 相談

<来年のキャラバンの相談>

2014-05-25_20.53.49.jpg相談オリバー

<イベントが終わって、一安心>

 

ドーンビンは小さな街。オリバーとバーベルによると「庭園のような市」と呼ばれているそうだが(一応、人口40万人)、僕は逆に「あぁ、街のような庭園ね。^ ^)」と言って、彼らをからかって遊んでいた。

どこへ行っても人をからかって遊ぶのは、「僕のワルい癖」らしい。(まゆさん談)

 

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<左はベアベル。NPOユニ担当>

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<教会前の広場。来年のキャラバンでは、ここでフェスをやってLIVE音楽をやろう! と話している>

 2014-05-25 21.18.18.jpg 女性

<軍隊調のウエイトレスだったので、どういう風に接したら雰囲気が変わるか、興味を持った僕。

そこで、「あなたの写真撮らせてくれない?」と言ってパチり。ちょっと女の子っぽい雰囲気になったぞ。ふふふ>

 

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チャリティックスの天才、ウィーンに現れる!  

2014/06/15 Categories:

前回のブログに出てきた、収容所記念館が語ってる無言のやり取り、「てめえら忘れんなよ」、「はい、忘れません」について、少しだけ補足説明をしておきたい。(はじめて本ブログをお読みになる方は、前号を参照して下さい)

「オレたち忘れないからな」が、人間としての自らへの戒めであるなら、それは意義深いことだ。自らの痛みを知っているからこそ、他の人を傷つけるようことはしないからだ。

しかし、これがある特定の国籍の人間をカテゴリーに分けて罪の意識を感じさせるならば、また、わずかでも怒りを内在させているならば、そこにどれほどの意味があるだろう? 結局、被害者の顔をしながら他を傷つけるような真似をしてしまうのではないだろうか? (イスラエル政府によるパレスチナ人弾圧のように)

それに、「てめえら忘れるなよ!」を言い続けるならば、犯罪加害者の子孫は、被害者の子孫に対して永久に顔を上げられないことになる。

そして、こうした精神構造を、歴史という神話が作り出すならば、それは人類にとって、健康的なこととは言えないのではないか、と思う。

例えばTTという著名な知識人が、「日本は東南アジアで酷いことをしたのだから、広島のことで文句を言うな」などということを書いていた。僕は、「何とバカなことを言う人だろうか?」と思った。

もしその論理がまかり通るならば、以下のようになる。

TTの祖父が人を殺したら、その被害者の子供がTTの子供を殺しても、TTは警察に訴えず、何の文句も言わずに泣き寝入りしなければならない。

一体TTという人には、日本軍によって起きたことと、広島の子供たちが原爆で苦しんで死ぬことが、何ら因果関係をもたせるべき話ではないことが理解できないのだろうか?

僕は、この収容所に漂う無言のやり取り、「てめえら忘れんなよ」、「はい、忘れません」には、TTのようなアホな理屈に陥る危険性を感じたのだ、、、。

もうホントに人間をカテゴリー分けにするのは、ばかばかしいから止めにして欲しい。そう、つくづく思う次第です。

と、ここまでが前回のブログの補足説明でした。

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<収容所を後にした時の写真。僕はガイドとも率直に疑問点を話し合った。彼女は公平で、わりとものわかりの良い人だった、、、>

 

さて翌朝、僕はホテルからセンターまでの10分ぐらいの道行きを歩いていた。ウィーンの街並をゆっくりながめなら、テクテクと歩いた。

そして歩きながら僕が何てつぶやいたかと言うと、“ああ、旅したいなぁ〜”である。(タハハ、、、)

僕がヨーロッパ3カ所を巡回していると聞くと、あっちこっち旅行ができて良いですねー、と思う人がいるかも知れない。

しかし僕にとって、旅は自由気ままに歩き回ることだ。だから、今は「旅」ではないんですよねー。例外的に数時間のぶらぶら歩きができることもある。でも通常は、ホテルとタオサンガ・センターとレストランしか知らない。

しかもやっていることはミーティング、念仏、法話、ワークショップと、日本とまるで変わらないのだよん、、、。使っている言葉だってタオサンガ用語だし、英語でしゃべっていることも忘れてしまうから、感覚としてはまるで金太郎飴のように同じなのである。

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そんな僕のささやかな願いは、海外でもチャリティックス・プレイヤーが増えて、みんなが僕より強くなったり ^ ^ ;)、あるいは互角で気ままなプレイできるようになることである。

というわけで、金曜日は気心道と念仏ワークショップを一日中。夜はアリスが、「チャリティックスやろう、やろう! みんなでやろう!」とアルフレッドに詰め寄り(おお! アリスはやっぱり親友だ)、チャリティックス研究会になった。

そこで知ったのだが、ドイツ語で戦車は「パンツァー」なのだ。(子供のころ、ドイツ軍のパンツァー戦車のプラモデルを作ったような気がするけど、あれって、「戦車の中の戦車」という意味なののかなー? まあいいや。とにかくアリスは、いい奴である。さぞかし、医者としても立派に違いない。アハハ)

注:チャリティックスとは、僕が考案した戦略ゲームのことである。

アルフレッドは、最初は頑固者よろしく「戦争ゲームなんて、、、」などと、ぶつくさ言っておった。(そのため「この頑固もの!」 とか、「全国良い子ちゃん協会会長!」などと僕にからかわれており、本気でイヤそうだった。ふはははは)

しかし次第に熱中していき、突然才能が開花。なんと天才的な技を見せ、毎回勝ち続けたのである! これにはビックリ!

 

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<オリバー(左手前)もなかなかやり手である>

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<左がウィーン生まれのトシさん。ただ今、チャリティックス練習生>

 

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<チャリティックス大好きっ子のアリス(右)>

 

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<観音くん(5才)もチャリティックス・デビュー>

 

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<天才的な技を発揮したアルフレッド。日本チャンピオン高山豊希氏との試合が望まれる>

 

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<ウィーンにもあった、反モンサントの看板。同社のラウンドアップという除草剤は危険だというので、ヨーロッパだけでなく、スリランカでも正式に使用が禁止された。でも、日本のホームセンターでは普通に売っている。- – ;)>

 

さて話は戻るが、土日の2日間はタオ指圧ワークショップだった。(一応、チャリティックスだけでなく、こういうこともするのだ)

ワークショップでは、念仏行における心の集中とタオ指圧の心のあり方が同一であり、両者が不即不離の関係であることを体験してもらった。(これは、最近生まれた全く新しいタオ指圧の技法に基づいたものである)

タオ指圧もやっとこさ、完成の領域に入って来たようだ。あとは、皆さんが念仏三昧と利他行に生きるかどうかですね、、、。(僕はチャリティックスに生きるぜぃ!)

月曜日は、4時まで観光客になれた! うぅ、超うれしー。
方向音痴には、ずば抜けた才能を持つ僕だが、地図を片手に歩き回り、ステファン寺院を目指した。

バスに適当に乗って、降りるときに払おうとしたら、バスの上では払わないらしく、トルコ人っぽい運転手が、親切に無賃乗車させてくれた。

トルコ人は日本びいきである。というのは、トルコは日露戦争で日本が勝ったためにロシアから独立することができたからだ。僕もトルコびいきだ。なんと言ったって、トルコ料理はうまい。バスの運転手も親切だし。^ ^) / (←勝手にトルコ人と決めつけるな)

火曜日は、やっと夏らしくなって来た!
今日は一日ミーティングである。

 

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<数時間の自由を満喫する>

 

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<お上りさんは、わけもわからず写真を撮る>

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<やっとついたステファン寺院(ウィーン観光の中心地)>

 

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<いくらお上りさんでも、馬車に乗る勇気は、、、。ちょっと恥ずかしいもんな>

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<この辺もウロウロ>

 

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<街の間のレストランに1人そっと入って、ランチを注文する。ふふふ、ビバ自由!>

 

 

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強制収容所跡地で僕が感じた疑問とは?

2014/06/10 Categories:

<前回の続き>

収容されていたのは、ユダヤ人だけではない。ナチに反対したドイツ人やオーストリア人などや共産党員などもいた。当時の政治犯もいたし、殺人事件を起こした犯罪者もいた。戦争で捕虜になった人や、何の罪もないのに、ナチによって社会不適格者の烙印を押された人たちもいた。

それにも関わらず、記念館には、ユダヤ人強制収容所のイメージがどこまでもつきまとっていた。それは、ハリウッド映画で観た、ユダヤ人強制収容所のイメージそのままなのだ。

もちろん悲惨であることに変わりはない。しかし、広島の原爆ドームと訴えているものが、どこか違うのだ。

というのは、原爆ドームのように平和への願いや戦争をすること自体の否定よりも、むしろ「てめーら忘れるなよ」。「はい、忘れません、、、」という感じ。そんな無言のやりとりが為されているような気がしてならなかったのだ。

 実際まあそうだろう。ドイツ人やオーストリア人はうなだれ、ユダヤ人や戦勝国は、「オレたち忘れないからな」状態になる。

 

 

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<ガイドの説明は続く。ここは人が縛られて長時間立たされていたところ>

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<沈痛な顔で説明を聞くアルフレッドとウィーン在住のトシさん>

 

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<シャワー室。といっても冷水をかける拷問の道具にもなったそうだ。右はイスラエルから来た訪問者>

 

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<柱にヘブライ語で「復讐」と落書きされている>

 

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<遺体焼却場>

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<ガイドの説明は尚続く。このときのイスラエルからの訪問者は、ガイドの話をろくに聞いていなかったので、”失礼な奴!”と僕はちょっとムッとしたが、、、>

 

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<収容者、全員の名前を刻んでいる。「殺人犯の名前も刻んであるんですか?」という僕の問いに、ガイドの女性は、「そうです」と。悪いことではないが、イスラエルにあるホロコースト記念館とまるで同じなので、僕は???>

 

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<ガス室。もちろんここは、、、。ところでオーストリアでも近年、ヘイトスピーチが盛んで、「トルコ人はガス室へ」という落書きがこの収容者の塀にしてあって、ニュースで大問題になったそうだ。パレスチナの分離壁にも、「アラブ人はガス室へ」というイスラエル側からの落書きがあったのを思い出した。僕は、”てめーが行けよな!”と返事を出したいぜい。もっともヘイトスピーチは、裏で政治的な意図をもって操っている奴がいて、それに踊らされている困ったちゃんたちが、少しはいるという構図だと思う。だから収容所の落書きも、裏で誰かがやらせているのかも知れない>

 

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<絞首台、、、。>

 

収容所記念館の建設には、政治的意図があったのではないか? という疑問が僕にもたげて来たのは、これが作られたのが、戦後わずか3年と聞いてからだった。

戦後の荒廃した状況の中で、食べ物さえまともに供給できなかったときに、なんでまた? 敗戦国であるオーストリアのどこにそんなものを造る余裕があったというんだ!? 一体、そのお金はどこから出て来たんだ?

そんな疑問が湧いて来て、「記念館を作るお金を出したのは?」とアリスに聞いたら、「アメリカのユダヤ人協会でしょう。」との返事、、、。

そもそも、強制収容所の跡地なんて、ドイツの一部だったオーストリアにとっては、恥の象徴みたいなものである。(も し、そういう建造物を作るのが当たり前だったら、先住民族虐殺記念館が、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドにできていなければならな い。)言わば、南京虐殺記念館※を、日本が自ら率先して作ったようなものだ。自国の恥をさらすようなものを率先して作る国があるはずないではないか?

※ 日本軍によって30万人が虐殺されたとされる南京事件だが、歴史的照査に関しては、9. 11のように疑問点が多い。(一例として上げると、国際委員会の活動記録で南京陥落時の人口は20万で、翌月には25万人に増えている)

中国には南京虐殺記念館があるが、こ れが作られる経緯には、反日教育によって国民の意志をまとめるという政治目的があったのではないか?とも思う。

9.11によってブッシュはテロとの戦いを宣言し、国民を自由に拘束できる法案などを可決させた。ブッシュはこの時、自らを十字軍に例えたが、これは人々にアンチ・イスラムの イメージを刷り込むためだろう。

これはまさにナチによる反ユダヤ・キャンペーンと同じ手法である。おそらく彼は、敵を作ることが人々を思い通りに動かすのに、最も都合が良い方法だと思ったのだろう。

さて話は戻るが、そもそもここはユダヤ人強制収容所ではない。いわば網走刑務所のような収容施設だ。そこを記念館とした。そして「ユダヤ人強制収容所」というイメージで誰もが見に行っている。僕には、その不自然さが、どうしても否めない感じがした。

だからか、収容所の中にヘブライ語で、「復讐!」と落書きがしてあった。おそらくイスラエルからの訪問者が書いたものだろう。

おいおい、これは歴史的展示物だろう。落書きなんかしちゃって良いのかね? と思いながら、僕はうんざりするような気持ちだった。

だって、収容所を作ったのも人間だし、入っていたのも人間だろうが。一体、誰が誰に復讐するっていうだよ。人間が人間に復讐するのかよ? まったくもう!

この収容所記念館は、もしかしたら政治的意図があって作られたものではないのだろうか? 僕はふとそう思ったのだ。たとえば日本政府は、中国から教科書問題を出されるたびに、まるでパシリのように中国にお金を出し続けたが、ヨーロッパ人もまた、過 去のユダヤ人への罪悪感があって、イスラエルがパレスチナをいじめ続けるのを横目で見ながらも強いことが言えない。

ヨーロッパは昔から、キリスト教会が 率先してユダヤ人を迫害して来た歴史がある。大戦中もバチカンは、ナチのユダヤ人虐殺を知りながら見て見ぬふりをしていたのである。

ホロコーストの結果、あるいは強制収容所を見せつけた結果(なのかどうかはわからないが)、西欧の支援を受けてイスラエルは建国された。そしてナクバ(注)が起こり、多 くのパレスチナ人が殺されたり難民となったりした。

そして今もなお、占領と空爆その他で苦しんでいる。パレスチナ自体が大きな収容所みたいなものになって いるのである。しかしマスコミは、あたかもパレスチナが独立国でイスラエルと対立しているというイメージを人々に刷り込んでいる。

※ナクバとは、アラビア語で「大惨事」という意味。だが今では、イスラエル建国によって80万人〜100万人のパレスチナ人が家を追われて難民になった、その歴史的なできごとの代名詞となっている。

さて収容所記念館は、果たしてその意図の通りに(?)、一方では人に罪の意識を誘い、一方では人の怒りを誘っている。僕としては、今でも政治の道具として利用されている死者が、本当に気の毒だとおもった。

収容所記念館の礼拝堂で、僕は自分の疑問について話し、しばしディスカッションとなった。その後は念仏して、みんなもスッキリした。少しは死者の魂が休まったり、救われりしたのだろう。

やはり念仏は良いなー。来年、ここで念仏回向の法要をすることになる。タオサンガのキャラバンによって、この記念館が、人の怒りを誘うためでなく、人類の平和のために使われたのなら、死者も喜んでくれるだろう、と重く思った、、、。

 

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<まあじゃあ、ここらでボチボチ念仏でもしようか。それがいい、それがいい、と。>

 

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<ということで念仏>

 

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<では撮影>

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<「みんな、もっと明るい顔でとろうぜ!」と僕は言うが、なかなかならない。まあ無理もないか、、、>

 

しかし僕が思うに、本当に重いのは歴史ではない。歴史という物語を書く側の意図である。

歴史は戦争の勝者が作った夢物語と思った方が良い。僕はそう思っている。
(そもそも今日本に住んでいるわれわれ“日本人”は、おそらく百済から来た人間たちだろうしな。ネイティブな純日本人は、アイヌ人なのである)

ビルマでの英軍の虐殺も、フイリッピンでのマッカーサー軍による虐殺も、酷いものだったらしいが、実際に歴史として残っているのは、日本軍の酷い行為だけである。

だから日本人の僕は、「わーれーは海の子〜♫」ではなく、「わーれーは罪の子〜♫」なのだ。16歳の頃の僕は、東南アジアの人たちに、本気で土下座して謝って回りたいと思っていたぐらいである。(当時これを言っても、誰も僕が本気だとは思ってくれなかったが、、)

このブログの最初の書いた、この収容所の「てめーら、忘れんなよ」という言外のメッセージだが、僕には以下のように聞こえてしまうのだ。つまり、、、。

かつてA人はB人を殺した。だからB人の子孫は、今後もA人として生まれた人間に対して、「おめえら忘れんなよ」と言い続けるぞ。そしてA人の子孫は、代々これからもずっと、B人として生まれた人間に対して、罪の意識をもたなければならないのだぞ、と。

かつて知の巨人として日本で有名な人間(名前は伏せる)が、「日本は東南アジアで酷いことをしたんだから、広島のことをとやかく言う権利はない」などと書いていた。全くむちゃくちゃな話である。まるで、「日本人の父親が東南アジアで酷いことをしたから、広島の子供たちは原爆で殺されても文句は言えない」と言っているのと同じようなものだ。「加害者の子供は死んで当たり前」ということなら、まず、自分が切腹すべきである。(あっ、ちょっと怒っちゃった)

しかも、話が飛んでしまった、、、。(反省!)
人間をカテゴリーに分けるのは、一番愚かなことだ。
「何々人」という民族カテゴリーや、その他、様々なカテゴリー分けがある。性別、年齢、学歴、出身、その他もろもろ、、、。

あぁバカバカしい! 分別ゴミじゃああるまいし。人を分けて観る奴はバカだ、と心底思う。だいたい、そんなものの見方をしていると、運気が落ちるぜい。

世界のあらゆる問題は、そんな小さなところから生まれている。このことを人は意外と知らないのではないか? (これはとても大切なことなんだけど) だから、人をそんな風に見るのをやめよう、と僕は言いたい。

ほんとうに言いたいのは、「あたかも樹や花を見るように人を見て、運気を上げよう! 」である。

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強制収容所の跡地記念館を訪問する

2014/06/09 Categories:

第二次世界大戦当時、ヨーロッパには多くの強制収容所があった。その跡地の多くは記念館として残されているが、ウィーン近郊にもある。タオサンガで計画している来年のピースキャラバンで、法要を行う予定の場所である。

今日は、そこを訪ねた。英語のガイド付きである。ただし寒い! 雨も降っている。まあ寒さに震えるのは、当時に収容者の気持ちに、1億分の1でも近くて良いのかも知れない、と思った。

運営していたのはナチ親衛隊、悪名高きSSである。当時の収容人数は20万人で、10万人が亡くなったという。収容されていたのは、ユダヤ人だけではない。一般の凶悪犯罪者もいた。

また共産党員、政治犯、ジプシー、障害者など、いわゆるナチの教義では、社会人不適格者の烙印を押された人たち。その他、ロシア兵など、諸国の軍事捕虜も収容されていた。

広大な施設ではあるが、小学校の教室みたいなところに詰め込まれていた人数を聞いて驚いた。何と1000人である。半端な数ではない。狭いベッドに2人で寝かされていた。また、床で寝ていた人も多かったそうだ。

 

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<収容所の入り口に向かう、タオサンガ一行>

 

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<ガイドの女性から説明を受けながら周る>

 

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<ユダヤ教を象徴する燭台の形をしたオブジェ>

 

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<手前はアリス。寒く雨も降っていた。帽子をかぶっている>

 

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<収容所の中>

 

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<監視人用の入り口でも狭い>

 

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<この部屋に1000人が詰め込まれていた、というから驚きである>

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<狭いベッドに2人が寝かされていた>

 

ここは、すべてが当時のまま残されている。オーストリアの中高校生は、授業の一環として、必ず一回は見学に訪れることになっているそうだ。

この記念館(というか記念施設)ができたのは、大戦終了後のわずか3年後だという。

雨の降る寒い中を、薄着で3時間ほどガイドの女性につれられて歩き回った。(途中、アリスが防寒着を車から取って来てくれた)しかし時間がたつに連れ、やがて僕の中に、ある疑問が芽生えて来た、、、。

 <続く>

 

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ヨーロッパ行脚のはじまり

2014/06/08 Categories:

着いたらすでに夜。もう5月中旬だというのにウィーンはまだ寒かった。

ウィーンの空港には、アルフレッドとアリスが迎えに来てくれていた。アルフレッドは、ウィーン・タオサンガセンターの道場主。アリスは、女医でタオ指圧をやっている念仏者だ。

 

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<アルフレッド/ 頭が大きいので地蔵というあだ名がある。元ジャズのピアニスト>

 

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<アリス /  チャリティックス大好きっ子>

 

最初にアリスに会ったのは、2003年。タイで開催された、第一回目のタオ指圧世界大会のときである。その時はまだ医学生だった。

また彼女は、無類のチャリティックス(僕が考案した戦略ゲーム)好き。だから僕にとって、親友みたいなものといえる。

本人曰く、2003年のタイ大会でチャリティックスやって、「ああ、私はタオサンガにいたい!」と思ったそうである。

タオサンガは、おマジメな修行集団でなかった(今もそう)。戦争ゴッコみたいに「バン!バン!」なんて、まるで子供まるだしである。みんなで遊んでいる姿が、彼女をホッとさせたとのことである。

中には、「戦争ゲームをするなんて、、、」と眉をひそめる人もいるだろう。なに、かまうもんか。そういうのでホッとする、粋な仲間だっているんだから。

また、アリスの念仏での神秘体験については、和田寺で発行している「寺がーる」というフリーペーパーで、三号に亘って紹介された。ご存知の方も多いと思う。

 

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http://taosangha.com/temple-girl/vol-04/

市内に入ってから、遅い夕食を食べに行った。まだ時差ボケだ。3人で四方山話をした後は、ホテルにチェックイン。

バスタブに浸かっていたら、いつのまにか眠ってしまった。ふと気づいてベッドに倒れ込んだつもりだった。すると今度は、電気をつけたまま眠ってしまった。日本でもギリギリまで、なんだかんだやっていたからなぁ、、、。

翌日からはミーティングで、夕方からは、法話と念仏ワークショップである。

ワークショップをやる前、「3時間もどうやって時間を持たせようかな、、、」なんて、ちょっと弱気になっていた。だが気づいたら、休みもなくいつの間にか3時間以上たっていた。

あれま、驚きましたね! きっと参加者が、集中力をつけて来たんだろうな〜。参加者が、あっ!と言う間だった、と言っていたから。

<続く>

 

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