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“慈しみ”と言う言葉が空間に漂う時 (バングラデシュ篇)1 « Blog
2017/01/04 Categories: 未分類

1)

これまで何回、この橋を渡ったことだろう?

木製の不安定な橋の上を、理由もなく全力疾走する三輪ミゼットに揺られながら、僕はふと思った。

向かっている先は、バングラデシュ北部にあるクルスクル。

少数民族・仏教徒ラカイン人が暮らす村だ。

ここには、永らく閉校になっていた小学校があった。

それは子供達がラカイン民族独自の言語を学んだり、教育レベルを向上するための学校だった。

廃校していたのは、何年か前にワールドビジョンという世界的な団体が、それまで行っていた支援をストップしていたためだった。

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<クルスクル村>

あれは8、9年前だっただろうか、、、。

はじめて訪れた僕らが、長らく閉鎖されていた学校のドアを開けたのは?

建物の無残な内部がさらけ出され、朽ちた机の上にはゴミが溜まり、ホコリが舞っていた。粗末な教室の中には諦めの空気が漂っていた。

僕らは村のリーダーや坊さんと、学校の再開について相談した。

先生たちを4人ほど探してもらい、人数分の新しい机と椅子を用意した。

そして先生たちには毎月の給料を保証し、閉鎖されていた学校を再開した。看板も新しく掲げた。

別段、「少数民族として暮らす仏教徒の人々に希望を与えよう」とか、「子供達の夢を叶えてあげよう」など、

そんなこっぱずかしく、赤面するような高邁な理想があったわけではない。

始めたのは、単に「そういうのをやるのって、面白そうじゃん」というノリだった。(だいたいが、何やるにもそうだけど、、、)

ただし、このダンスは一度踊り始めたら途中下車はない。

途中でストップして村人を失望させ、再び諦めの空気を村に創るわけにはいかないからな。

でも、日本の人たちで収入の一部を出し合えば、その日本円は、バングラデシュで何倍もの価値をもって使われることになる。

為替のマジックと言ってはそれまでだが、みんなの力で学校を運営できるのだ。

こんな素敵なことはないのではないか? (とここは真面目に思う)

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<算数の先生と子供たち>

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<どういう訳だか、子供たち1人ずつに文房具を渡すというシチュエーションに、、、。

うぅ、かなり苦手な役割である。>

2)

そして毎年毎年、バングラデシュにやって来ては、この橋を渡る。

学校の状況を見る。要望を聞く。そして改善を続けて行く。

さらに新たな別の村の学校を開けていくべく、村から村へと巡る。

今年は四校目を開校させるべく動いていた。

村に行って僕たちが集中して会うのは、村のリーダーや先生たち(または先生候補)だけではない。

子供達にインタビューする。

親のない子や、片親の子、また親があっても病気、

あるいは極端に貧しく(基本的にはみんな貧しいのだが、「輪を掛けて」という意味)、

支援を必要とする子たちに、である。

その子たちの希望や将来の夢などを聞き取っていく。

 日本の里親になってくれる人を探すためだ。

孤児などは、誕生日を聞いても知らないことも珍しくない。それは聞いていて胸の痛むことだった。

”里親を探す”といっても、別段引き取ってもらうわけではない。

1〜3人で合わせて月に3000円ほど支援してもらい、それで小学校の教員たちの給料の一部を払う。

さらに、その学校に通う子供達のノートや鉛筆などを支給する費用にもなるのだ。つまり里親たちで村の教育を支えるのである。

ようするに里親たちに援助してもらうのは、居酒屋に行く程度、またはそれ以下の費用で済む。

また里親は、三カ月に一回、里子からの手紙を受け取ることになっている。

日本から僕らが行く時には、里親からの手紙を預かって行く。

そして、現地メンバーである、ラカイン人のラジョーさんに、僕らが読みあげる手紙を通訳してもらう。

3)

さて今回も、里親からの手紙を持って村を巡った。

僕は、読み上げてもらう手紙の通訳を聞いている時の、里子の顔が見るのが好きだ。

とっても嬉しそうな顔をするからだ。

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<里親からの手紙に、赤ちゃんのいる家族写真が入っていた。里子の彼は、

「この子は、僕の日本の妹っていうことだよね」と言った>

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読み聞かせてもらった後、彼らは読めない日本語の手紙を大事そうに、持って帰る。

こういう時、“慈しみ”と言う言葉が、その空間に漂っているような気がして、

僕はその空気の粒子に見とれているような気がする。

それは、”誰が誰を慈しむ”と言うのではなく、関係性そのものに漂う空気である。

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<里親からの手紙を聞かせてもらっているところ>

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<真剣なまなざしで聴いている>

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<そして、恥ずかしそうに、嬉しそうに、大事そうに手紙を持っていく>

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<こんな顔も>

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<こんな顔もある>

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<どの子も嬉しそうである>

こんな笑顔が原動力になっているのかは不明だが、さらに学校を増やそうとして動いている。だが、いかんせん里親の数がまだまだ足りない。

だから、予算はオーバーしている。でもこの地域に、通常、国際団体の支援は届かない。(ごく稀にあっても、一定期間後にはストップしてしまう)

僕らNPOアースキャラバンがやらなければ、全部で17あるラカイン村に、彼ら独自の小学校が開校することはないのだ。

それで毎年、新しい村の調査をし続ける。

そして孤児などに会って「必ず里親を見つけるからね」と約束する。

手紙を読んでもらっている時の嬉しそうな顔が見たくなるから。

        *********

いずれは、村々の学校を回る里親ツアーのようなものや国際ワークキャンプを企画したい。

もっといろんな人に、この里親プロジェクトのことを知らせたい。

そして、このゾクゾクするような面白さを、

ぜひ皆さんに味わってもらいたい。

、、、と、本気でそう思う。

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<驚くかもしれないけど、これが学校(ザフカリ村)。ここはまだようやく1年目。

NPOアースキャラバン・ラカイン子供センター ”ザフカリ校”の看板はこれから設置の予定>

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<こちらは、3年かけて話し合い、これからようやく開校にこぎつける新たな村のリーダー>

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<驚くけど、ここを整理して学校にすることになった>

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<ザフカリ村の優しそうな村長さんが、父親が病気で困窮している家庭の女の子に会わせてくれた>

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<”じゃあ、あなたにも里親探しましょうね。”というと嬉しそうな顔で笑った>

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<この子にもそう伝えると”えっ?”と言って驚く>

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<”じゃあ、ちゃんと写真撮ろうね”と言ってポーズ。”きっと誰かに里親になってもらえると祈りながらシャッターを切る>

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<「2017年の開校目指して頑張りましょう」と村長に言って、僕らは移動する>