2017/04/30 Categories: 未分類

1)まずエピソードから始めよう

 『家出していた18歳頃のこと。

僕は今で言う「シェアハウス」に、1ヶ月間だけ住んでいたことがある。

 私立高校を中退後、今度は都立高校に通っていたのだが、なんせ家出中の身なのでお金がない。

それで食事と言えば、買い込んだ米を炊き、朝昼晩、醤油をかけたものだけだった。

 シェアハウスの住人たちは、いわゆるヒッピー系の男女4、5名だった。

ある晩、なぜかその中の1人のお姉さん(当時18歳の僕にしてみれば皆さん年上なわけで、、、)と、夜更けまで話し込んだ。

 その時僕は、“お金がないので三食コメだけを食べているんだけど、醤油もなくなったので、明日からおかずは塩だけだなぁ、、、。”みたいな話を、まったく悲壮感なく話した。

(実際、オレ家出しているぜ、という開放感があったし、食事についての悲壮感はまったくなかった)

 すると彼女は、”それだけ食べてりゃ「持つ」わよ。”というような返事をした。

そして”結婚することになったの。で、明日ここを出て行くんだ”と言った。

 僕はそれに対して、普通に”おめでとう”と返したような気がする。

しかし当時僕は、そういうことにまったく重きを置いていなかった。

なので、もしかしたら“ああ、そう”と言っただけ、だったかも知れない。

 翌朝、荷物をまとめた彼女を迎えに来たのは、やたら”何々だからよ〜”を連発する、いわゆる、べらんめい口調の男性だった。

その車に乗って、彼女は荷物と共に去って行った。 

少し広くなったシェアハウスにホッとした僕は、昼ごはんを作ることにした。

つまり、唯一の食料であるコメを炊くことにしたのだ。

 そこで戸棚を開けた途端、一瞬、頭が空白になった。

中が空だったからだ。唯一の食料だったコメは、彼女が自分の荷物と一緒に持ち去っていた。

 その瞬間、僕は思わず一人声を出して笑ってしまった。

彼女があまりにも滑稽だったからだ。

”こんなことして、何も自分の結婚に味噌つけなくても良いのにね。”と僕は思ったのだ。』

 この話をある人にした時、彼は一瞬、怒りの表情を見せた。

“何てひどいことをする奴だ!”と僕のために怒ってくれたのだろう。

 でも僕が、あまりにも楽しそうに話しているのに気づいて、彼は怒りの表情をすぐに消した。

その瞬間、僕は、“これは怒るのが自然なのだろうか? でも、なぜ僕は怒らなかったんだろうか?” と考えた。

 そうこうしている内に気づいた。

その時、僕には“被害者意識”というものが、生じてなかったのだ。

 だって、

“なけなしのお金で買ったものだったのにぃ”とか、

“僕が唯一の食料としていることを知っているのにぃ”とか、

“これでもう食べるものがない、、、”とかは、一切僕の頭になかった。

なんだか、お笑い日曜劇場の芝居かなんかを見ているような気分だったのだ。

 僕には、人のコメを結婚先に持っていくという、相手の滑稽さだけしか見えなかった。

 そこで気づいた。

怒りというのは、被害者意識がなければ生まれないものなんだな、と。

<追記>

このシェアハウスを見つけたのは、「名前のない新聞」というヒッピー系のミニコミ誌で募集していたからだった。

新聞の値段については、当時、“仕方なく無料”と書いてあったのが面白かった。

この「名前のない新聞」の主幹である、通称あぱっちさんに明日お目にかかることになった。

それで、ふとこのエピソードを思い出したのが、思索の材料になった。

                                                  ー続くー