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ついにHIV孤児院を訪ねる!   旅の第三ラウンド(4) « Blog
2013/01/26 Categories:

、、、モタサイ(バイクタクシー)は、やがてホテルに到着。

休む間もなく、僕は動き出した。遅くならない内に孤児院を探し当てたい。

 当初、孤児院を探し出す方法として、僕は以下のような作戦を考えていた。

まず市役所か何かに行き、英語の話せる人を探し出す。そして事情を説明し調べてもらう。

ついでに行き方を教えてもらったり、モタサイの運転手に場所を説明してもられえばグー。

 ところが僕には、10年近く音信不通で連絡先がわからなくなっていた、ソムミャットさんというタイ人の知り合いがいた。それが今回、いろんな方法を使った結果、運良くバンコクで再会することができたのだ。

 それで、ソムキャットさんには、タイ語で書かれた孤児院のサイトのURLを送り、住所を英語に直してメールで送ってもらったのだ。

<バンコクで再会したソムキャットさん>

ソムキャットさんからは、ウドンラチャタニ出発前夜に返信が来たのだが、それには、サイトについていたタイ語の地図も添付されてあった。

住所を英語に直してもらったし、タイ語だけど地図もある。これなら何とかなるのではないだろうか? まあ、さいあくの場合は、市役所を訪ねればいい。

まず僕は、英語はほとんど通じないホテルのフロントに、サイトからプリントアウトした地図を見せ、ここに行きたいのだが、、、と尋ねた。

すると、わかったようだ。そりゃ、良かった! しかしどうやら、とても歩いては行けない距離のようだ。

僕は、 タクシーがいくらで行くかを確認した上で、呼んでもらうことにした。数百円だったからだ。タクシーとは、もちろんバイクタクシー。車のタクシーなど、期待できるはずもない。

 乗るやいなや全力疾走を始めたモタサイの後部に乗りながら、“こりゃ、事故ったら命はないな”というつぶやきが、思わず僕の口からもれた。

まるでジェットコースターに乗っているような気分だ。全力疾走で車の間を抜けて行く上、ノーヘルメットである。

 やがてモタサイは、国道を折れて田舎道に入る。しばらく走り続けた後、学校のような施設の前で停まった。

とうとう辿りつく

 モタサイには、ここで待っていて欲しい、と身振りで伝える。向こうは険しい顔をして、身振りで、金を寄越せ、という。

 仕方なく、あらかじめ決めておいた額を渡し、僕は敷地内に入っていった。

 バイクの音がして振り返ると、バイクが去っていくところだった。待っていてくれ、という身振りが通じなかったのか、HIVに感染した子どもたちがいるから去っていったのか。それはわからない。しかし僕がこれで帰る手段を失ったことだけは確かだった。

 まあ仕方がない。何とかなるだろう。モタサイには、最初から甘い期待は持っていなかった。

さらに敷地内を進んでいくと、庭で女性と子供たちが座っているところに出た。

やはり場所は間違っていなかったんだな、と少しホッとした。

ほどなく僕に気がついた女性が、微笑みながら近づいて来た。僕は、“誰か、英語のわかる人はいますか?”と声をかけた。すると、ちょっと待って下さい。呼んで来ます、と言い、タイ人シスターを連れて来た。

もしかしたら、ここは教会関連の施設だったのかな、そう思ったけど、まあとにかく話を聞こう、と僕がここに来た理由を説明した。

“僕はユニという、インターナショナルNGOをやっている者です。この施設についてのお話しを聞かせて頂きたいと思って来ました。そして、何かお手伝いできることがあればさせて頂きたいと思っています。”

さらに、“少しですが、寄付も持って来ました” と、僕は、自分が単に興味本意で来たわけではないことを伝えた。僕は年末に「いちなん」という所でやったチャリティLive で、聴衆の皆さんから頂いたお金を持ってきていたのだ。

シスターは、お茶を出してくれ、こちらの素性について尋ねた上で、僕の質問にいろいろ答えてくれた。

<左/創始者。右/シスター。>

子供の数は現在69人で、その内の30人がHIVに感染していること。職員は15人で、また感染している子供たちは毎日薬を飲まなければならない。

子供が連れて来られた事情はさまざまで、わからない場合も多い。健常者もいれば、精神薄弱の子もいるとのこと、だった。

また、政府からの援助はなく、運営は寄付のみに頼っている。海外からの寄付はなく、タイ人によるものという。

キリスト教徒になるように育てているのですか? という僕の質問には、いいえ、子供たちを仏教徒として育てています。キリスト教に改宗させるようにはしていません、という。

シスターはいつからいるのですか? と聞いたら、教会が5年前に私をここに派遣しました。この施設を最初に創った彼女がクリスチャンなのです、という答えが返ってきた。

その後、子供たちが施設の中を案内してくれることになり、2人の子に手を引かれていろいろと見て回ることができた。

 

 

 

<日本の大使館が寄付した建物>

 <農園もやっている>

 <乳幼児の部屋>

 <クリスマスカードが貼っていた>

<遊び場もあった>

孤児として育った子供(精神的孤児も含めてだけど)は、例外なくスキンシップに飢えている。

子供たちに手を引かれて案内してもらいながら、僕はその手に、彼らの悲しいまでの“飢え”を感じ、内心胸が痛くてならなかった。

どうも気になったことがあった。それは、子供たちがおとなしすぎることだ。いってみれば何となく覇気がないというか、、、。

一瞬、病気のせいかな、と思った。でもスラムの子供なんかでもそうだけど、子供はどんな境遇にあっても、やんちゃで笑い、はじけるようなパワーに溢れているはずだ。

でもその理由は、あとで何となくわかった気がした。

教育観の違いにとまどう

ボランティアは受け入れていますか? という質問には、子供たちの遊び相手になってくれるボランティアはいつでも歓迎しています、とのことだった。

海外からボランティアは来ますか? と聞いたら、彼らは3日から1週間宿泊滞在していきます。日本人のボランティアは、子供たちに折り紙を教えたりしてくれました。3年前まで来ていましたが最近は見ていません、とのことだった。

シスターの次の言葉を聞いたとき、僕は返事に窮してしまった。

“海外から来てくれるボランティアには、私たちのルールを守って頂かなくてはなりません。私たちは、子供が悪いことをしたり言うことを聞かなかったりするときは、罰として棒で叩きます。

これがフランスの人などは、受け入れられないようです。しかしこれは、私たちの文化なので、海外ボランティアの人には、これを受け入れてもらう必要があります。”

僕は、どう返事して良いかわからなかった。

実は僕は、20代の頃に独自の幼児教育論を書きかけたことがあった。それは、体罰どころか、子供には否定語を一切使わずに育てる、というものであった。

たとえ子供が、まだ言葉のわからない内であっても、大人は説明だけを繰り返す。そして、子供は誉めまくって、肯定的な言葉だけで育てる、というものである。

また、子供が無意識に求めているもの(スキンシップ、一緒に遊ぶ、また優しく見守っている、など)は可能な限り与える。

つまり大人が自分の親や世間から受けた人為的ネガティビティを一切入れず、子供の無意識には、ポジティブしか入れないように「極力努力する」というものである。

そこにあるのは、徹底した性善説である。つまり否定を入れずに肯定だけを入れれば、子供に人間本来の佛性が顕われてくるはずだ、というのが、基本的な考えなのである。

ようするに僕は、どんな子供にも、“生まれてきて良かった。人生は良いものなんだ”、そう思って欲しいのだ。

だって子供の無意識に、人生に対する肯定的な想いやイメージを極力刷り込むことこそが、大人が子供に与えることができる、唯一で最大の財産なんだから。

もっとも、この教育法にも問題点がないわけではない。それは、実践する大人には相当の精神力が必要だということと、子供が父性を必要とする思春期(反抗期)にはどうするのか? などである。

実は、育てる側の大人は、子供の幼児期には父性を自身に内在させ、また思春期には外在させる、という風に切り替えなければならないが、これはあまりにも至難のわざなのである。(僕の教育論については、別の機会があれば、またあらためて論じたい)

それはさておき、僕はこんな考えを持っている人間だから、シスターの話に返す言葉を失ってしまったのである。

ヨーロッパで教会が運営する寄宿学校や孤児院では、しつけと称して体罰をもって厳しく規律を叩き込まれる、というイメージがある。それは単にイメージではないだろう。実際にそうだと思う。

ここには、あるいはそのような傾向があるのかも知れない。もしかしたら過去に、その現場を見たフランス人ボランティアたちが、彼らの体罰を批判したことがあったのかも知れない。そう僕は思ってしまった。

しかしだからといって、子供たちに罪はない。僕はその後、チャリティ・ライブで聴衆の皆さんから頂いたお金を寄付した。

彼らは、僕が住所もわからないままに来ることに決め、飛行機とバスを乗り継いでバンコクから訪ねて来たことを知って驚いていた。(半信半疑みたいではあったが) 僕が、ホテルまで帰る手段を持っていないことを知ると、車で送ってくれた。

年末にやった、チャリティLIVEで集まったお金をHIV 孤児関連に寄付するというミッションの1つが終わった。僕はホッとした。でも、胸は痛いままだった。

ヤソトン街の屋台に癒される

ホテルに帰ったあと、ヤソトンの街を散策し、屋台街を探して食べに行った。散策の途中、道に迷ったけど、おまわりさんらしき人が、バイクに僕を乗せて連れて行ってくれた。

 

 <道に迷っていたら、後に乗せて連れて行ってくれた>

 

 <夜の寺院、ライトアップ>

 

 <夜店>

 <家族でやっている屋台。旦那を写したら、、、>

 <おい、おまえも入れよ、と奥さんを呼び>

 <全員で写ることになった。この、ほのぼのした温かさにも、僕は癒された>

 屋台でビールを飲んだ。最初のひと口は、ほろ苦かった。でも、タイの田舎の屋台が持つ不思議な癒しの空気に、やがて僕は包まれていった。

続く