2011/05/22 Categories: 日記

実を言うと、ブログを書くのがちょっと面倒になって来た。
なぜか? 外的な行動のことばかり書いているからである。

確かに、一風変わった、面白いことばかりやっているかも知れない。
だけど、写真はいつも撮り忘れるしなあ、、、。
きっと、一生懸命過ぎて、写真どころではないのだろう。

なるべく読者サービスと思って、面白かったできことを書こうと、思いはする。
だけど、心から自分が人と分かち合いたいと思うのは、本当は内面生活の気づきなんだ。

例えば、今日僕が何を気づいたかというと、「自分とは何か?」である。
これがわかってしまったかも。(←ホントかよ。)

例えば、Aさんは、Aさんとして顕われた自分である。
BさんはBさんとして顕われた自分である。
この実感が、ふいに湧いた。
すると、心が広がって、楽になった。

良き人も悪い人も自分として顕われた良き人、あるいは悪い人。

これは、あらゆる人がお互いにそうである。
だから、自分と思っている自分は、本当はいないのである。

これを頭で考えないでね。
哲学じゃないから、頭で考えないで頂けたらうれしいんだけど、、、。

ところで、これを事実として認識する心のことを、
仏教では「妙観察智」(みょうかんさっち)とも言う。
諸法無我という言い方もあるなあ。

こんなことに気づいて、何か得することあるのか? 
そう聞かれるかも知れない。

事実、得をする。
人生における心の自由性が、かなり広がるのだ。

心が自由であればあるほど、人生は楽しくなる。
楽しそうな人って、心が自由そうでしょ。