アースキャラバンでは、ピースサイクリングというプロジェクトを平行して行っている。

これは原爆の残り火である「平和の火」と、長崎で被爆しても尚生き残った「被爆樹の苗」を持って、自転車で日本を横断する、というものである。

今回のブログでは、これの体験の一部を書いてみようって思ったけど、その前に写真で説明。

※ただし写真はいろんなところのが混じっているので、時系列はテキトーなのをお許し頂きたい。

2016-04-28 12.11.25

実は僕は尾道から自転車で走り始めたのだが、5kmほどでなんと新品の自転車がパンク!

みんなで呆然とする中、自転車屋に運ぶための作業が始まる。(今回は、2台の自転車が合計3回もパンクした)

2016-04-28 11.06.43

こちらは迷子になったスーを発見した後の写真。「困難を克服するのが人生!」と、スーも含めてみんなで笑った後、パンク車の運搬にはちょっと真剣になる。

 

 ********************

13092088_690728071065414_1599290627559379720_n

<アースキャラバン加古川>

さて、加古川ピースキャンドルLIVEの会場だったのは酒蔵。

その岡田本家さんのご主人に神戸に向かう道をお聞きして、元気よく自転車を走らせた。

途中、自転車屋によってスーの自転車の空気を入れていくことになっていた。

 

元気よくスタートを切ったのは良いが、僕もスーも超方向音痴。

さっそく迷ってしまった。

音響機材一式を満載した自動車に乗っている高山ほうきと連絡を取った。

しかし場所は、チンプンカンプンである。たはは、、、。

 結局、時間と距離をずいぶん回り道をした結果、ようやく自転車屋に到着。

 

まあ、こんなこともあるさ、と陽気に再出発。そもそも、ハプニングや困難そのものがピースサイクリング。何も順調に行く必要などまるでない。

あとは、バイパスに引っかかったり、スーと自転車を担いで階段をおりたりして、そのときは自転車かつぎ屋にでもなった気分。時には、亀のようにノロノロ進んだりもした。

 

サイクリストと言われる人たちが一緒だったら叱られそうなことばかりである。

でも、自転車をこいでいるのは僕らだけなので、まったく気楽なものである。

 

まるで高校の屋上で授業をさぼって、日向ぼっこしながらのんびりタバコを吸って、空を眺めているような気分である。(←おおこれぞピースフル!)

というわけで、僕的にはこれぞまさしく、ピースなサイクリングであった。

 13151541_1031379606938926_1429822780265835118_n

20kmほど進んだところでランチタイム。もちろんファミレスなど行かず、地元の良心的な洋食レストランで、安くてとびきり美味しいランチを頂き、ランチ後は、高山ほうきと選手交代。自転車をゆずった。

 

2016-04-28 12.35.46-1

アースキャラバン広島実行委員長、われらが伊藤憲正(けんしょう)さん

13094213_1031379530272267_5823261815704350334_n

<順番変わったら、山越えになってしまった高山ほうき。ふふふ>

 

その後、20kmぐらい離れたところまで自動車を走らせ、ファミレスの駐車場に停めて、お茶をのみに1人で入る。山ほどたまっている作業をするためである。

 被爆樹の種か苗を、トロント(カナダ)とベツレヘム(パレスチナ)に運ぶための算段についてはかなり山場を迎えていた。本来なら、ピースサイクリングをしている時間などはなかった。

しかし尾道から、僕自身がやらなければならない状況になってしまった。それでまあ、楽しくやらせてもらっている次第で、他の作業は夜に持ち込んだ。

 

ファミレスでは、ずいぶんと作業に時間を費やした、、、。ふと手を休めると、スーと高山ほうきの到着が、あまりにも遅いことに気づいた。

そこで電話を入れてみる。すると、何と彼らはこのファミレスの駐車場まで来たけど、車が見つからないのでさらに進んで行ったとのこと。

オーマイガッ! 慌てて自動車に乗ったが、連休の渋滞で自転車の方が早い!

とうとう彼らに追いつかず、自転車の方が先に神戸のホームステイ先に着いてしまった。うぅ、面目ない。

 

今日のホームステイ先は、サラシャンティという健康道場を運営している清水さんである。

清水さん宅には、茨城からミクさんも到着していた。彼は、「神戸から京都までの自転車を」走り、スーのゴールを見届けるために来てくれたのである。

 

ミクさんは、ピースサイクリングの司令官としてリーダー的役割を担ってくださった人である。

それは僕がピースサイクリングのことまでやらなければならないことになり、あまりに大変な状況になって四苦八苦しているのを見かねたためだった。

捨てる神ありゃ拾う神あり、だ。僕としては、何だか戦友に遇ったような気分だった。

 

前日に突然、彼から「神戸でスーを見送り、京都でゴールをお迎えしようと想います」というメールをもらった。

その時、その献身的な無私の心に僕は感動して涙が出そうになった。

この言葉を聞いただけでも、アースキャラバン2016をやったかいがあった、と思ったほどである。

僕が求めているのは、そんな、人の温かい心だったんだ。

 

ところで、ピースサイクリングを実際にやってみて、わかったことが沢山あった。

その内の1つ、、、。

自転車はこいでいれば進むし、それ以上でも以下でもない、ということだ。(←当たり前過ぎて申し訳ないけど。^ ^)/

 

2016-04-27 15.07.48

<雨の中を50km走りとおした後藤わかさん。僕は彼を「お坊ちゃま!」と呼んでからかっていたのだが、、、、>

2016-04-30 14.36.46

<僕は最後まで「制服」を着るのを抵抗していたが、2人とも着るのに抵抗はないらしい。僕は幼稚園のときから制服がキライだったので、不思議である。>

2016-04-27 13.28.15

<誰かが自転車で走っているときは、車の中で和気あいあいと楽しむのがサンガ流のピースサイクリングである。だって、オレたちはオレたちらしくやればいいじゃん、というのが結論。 ^ ^)>

0
Posted in 未分類 |

僕はパレスチナ人たちの苦しみを思うと胸が痛くてならない。

アースキャラバンのテーマ曲「SHARE!」の歌詞は、僕がガザ空爆中のパレスチナにいたときに書いたものだ。

ライナーノート「” SHARE!” の歌詞は、人々の涙を吸ったパレスチナの大地で生まれた」http://earthcaravan.jp/share_msc_note.php

だからSHARE!の替え歌では、 「パレスチナよ、自由になれ!」という歌詞で歌う。

この替え歌は、ベツレヘムのコンサートで歌って観客が総立ちだったし、翌朝は、女の子たちが口ずさんでいて、僕はちょっと驚いた。

それほど彼らの日々の苦しみと悲しみ、そして自由と平和への希求は強い。

当たり前だ。一方的に占領され、そして自由を奪われ差別される屈辱の日々なんだもの。

驚くかも知れないが、アラブ人だから、そしてユダヤ教徒でないから、占領者であるイスラエル政府によってパレスチナ人の生活は蹂躙され、差別されている。

宗教が違うという理由(を隠れ蓑にして)で、人生の多くを不自由に生きることを科せられているのだ。

70年前、これとまったく同じ理由でゲットーに入れられたユダヤ人が作った国、イスラエルによって。

         ***

「宗教が理由だってぇー!?   なら、そんなの理由にできないことを証明してやろう!」

1日も早く彼らの苦しみを終わらせたい、という胸の痛くなるような想いから、僕の異宗教融合ソング組曲は生まれた。

 TuuO8zh3wIujFSgPKUZMYyzkVFYBxr_Jk8Tw7WvKnFc-450x337

 <イスラエル軍に路上封鎖され、自分たちの宗教施設であるモスクに行けず、路上礼拝している東エルサレムのパレスチナ人たち>

Desktop31

<40年住んでいた自宅をイスラエル軍によって叩き出され、路上生活を余儀なくされている一家へのボランティア指圧>

そもそもアースキャラバンは、パレスチナの人々の苦しみを取り除きたい、という願い抜きには生まれなかった。

だからこそ、アースキャラバンはエルサレムに向かうし、異宗教融合ソング組曲は、アースキャラバンの大切な柱なのである。

これは実際に中東へ赴いて活動し、同じ人類の同胞であるパレスチナ人の苦しみをまざまざと感じていなくては、理解できないかも知れない。

でもこれを捨てることは、僕にとってパレスチナ人の苦しみへの共感を捨てることなんだ。

だから僕は、異宗教融合ソング組曲を抜きに、アースキャラバンを続けることはできない。

異宗教合同ソング組曲  at  アースキャラバン知恩院

0
Posted in 未分類 |

バングラデシュ出発の3日前は、東京の書泉グランデという書店で、ワークショップ&LIVEだった。このため京都から自動車で出発した。

アミナダブ(←バンドの名前)は3人しかいないバンド。なのに使用楽器がいろいろとあり、LIVEしようと思ったら、いろいろな機材を運ばなくてはならない。

というわけで15時には、山のような楽器を神保町にある会場「書泉グランデ」の前に下ろした。

images

書泉グランデ

イベント会場は7階。えっちらおっちら、重い楽器を運ぶ。ようするに僕は、ワークショップの講師、LIVE演奏者であり、かつ運び屋もやっているのである。

もしかしたら中には、僕のことを“華やかに多方面で活躍している人”なんて、ちょっと僕にとっては嬉しい誤解をしてくれている人もいるかも知れない。

でも何を隠そう、99%がえっちらおっちら重い楽器を運ぶように地味な、まるで地を這うようなワークの連続なのである。

書泉グランデは趣味人のための大型書店ということで、僕の好きな戦史ものからオタク系のものまで、きめ細かい品揃えをしている。

その上、タオ指圧関連書籍コーナーも作ってくれている。だから僕にしてみたら、実に「ありがとうございます!」という感じなのだ。

 「タオ指圧&氣心道」というDVDがある。5年の歳月と大変な予算をかけて創ったものだ。

実は書泉グランデで、自由価格(買う人が価格を決める)で置いてある。なので、東京の方はよろしければ、ぜひどうぞお立寄り下さい、と思う次第である。

 DVD「タオ指圧&氣心道」予告編 (さて、どんなんでしょう? クリックすると動画に飛びます)

book9

 ワークショップ。時間は1時間半しかない。元来、タオ関連ワークショップは、10数時間やって深部に至る、というディープなもの。

これを1時間半でやるには、電話帳を素手で断ち割るほどの集中力を必要とする。(やったことないけど、一応まあ想像で)しかもユーモアたっぷりでないと、自分もつまんない。

ce0b96b379747db153918267f320d23d-320x213

<書泉グランデ・ワークショップ会場>

しかもワークショップ終了15分後には、LIVE演奏。先ほどの自分とはまったく違う存在にならなくてはならない。

ひぇー! まるで自分を根っこまでひっぺがして、別の自分を身に纏うような感じ。始めるまで、精神的にはヒィヒィだ。

 終了後、来てくれたアースキャラバンの仲間に楽器の収納を手伝ってもらう。(感謝、TT )書泉グランデの渋谷さんに良い店を教えてもらい、みんなで楽しく摂る遅い夕食。 いや実に安くて良い店でした。渋谷さん、ありがとう!

 翌日からは2日間のタオ指圧クラス(10am-5pm)。土曜日の夜は音楽念仏と法話なので、この日は9pmまで続く。

もっとも9pmからは、海外向けの英語の法話をUstreamで放映する。よって、この日のワークが終了するのは、10pm近く。なので、この日もまた居酒屋で遅い夕食を摂る。(←まったく生活なんて、あってないようなもんだな)

12509571_978321505595778_1948721962814306644_n

アミナダブ・アースキャラバンツアー映像(写真はベツレヘム)

火曜日に成田から出発。タイ航空なので、僕の大好きなバンコクに寄港できるのは魅力である。

バングラデシュまで行くと、12万円ぐらいはするのだが今回は違う!タイ航空のマイルが貯まっていたので、燃料代の4万ぐらいで行けるのだ。やった! 正直助かりますねー。

バンコクで数日でも休養できるのがありがたいなー。ふふふ、まさに極楽である。






















0
Posted in |

京都に帰ったら、もうバングラデシュに向かって出発する日が迫っていた。(←まったく忙しい奴だ)

でも、その前に東京の書店「書泉グランデ」での「ワークショップ&音楽LIVE」がある。さらにその翌日から、東京で2日間のタオ指圧クラスもある。(クラスは、一日中である)

リハーサルを再開し、数日後には楽器をすべて車に積み込み、バンドでアコースティック・ギターを弾く高山ほうきと一緒に、東京に向かって出発した。

 出発と言っても、岐阜と浜松に寄っていくので、すぐに東京に着けるわけではないんだな、これが。

寄ると言っても温泉にでも浸かりに寄るのならサイコーだが、そういうわけでもない。

まずは岐阜に寄って、シモンとミーティング。

 名称未設定-1

 <彼がなぜシモンというかについては後述>

何のミーティングかと言うと、今僕らは新しいSNS(ソーシャル・ネットワーク・サービス)を立ち上げようとしている。

既存の文化に属さないカウンターカルチャーなもの。そして、自然農法、平和活動や福祉などを応援するオールタナティブなもの。 

人々が善意を与え合うことを可能とするもの。99%の世界民衆のための世界規模のSNSを目指している。(よって、協力してくれるプログラマーを募集中である)

夢が現実になるまで、もちろん笑う人もいる。これは、僕が今まで繰り返し経験した来たパターンだ。(だから僕は、人が夢を語ったときには絶対に笑わない。そして、夢を笑わない人とだけ、僕は夢を語り合うことにしている)

いずれにしても、現実になったら誰も笑わなくなる。(当たり前だけど)そして、「最初に聞いた時は、まさか本当にそんなことができるのだろうか? と思ったよ」とか言うのだ。

 「みんな大きな夢を持ちたまえ! そして自分の夢を信じたまえ!」(、、、と独り言)

imgres

まあいいや。ところで先ほどのシモンというのは、NPO・アースキャラバンのメンバーだ。僕がつけたニックネームである。(シモンは八画で、字画も良いしね)

聖書に出てくるシモンは、十字架を背負って歩くイエスに水を飲ませた人である。

本名は、「西」が付いている苗字。 なので、「西→西方浄土→さい→さいもん→シモン(SIMONは、サイモンともシモンとも読む)」という訳の分からない流れでついたのだ。

かつて伊藤忠でシステム・エンジニアをやっていたそうだが、ドロップアウトして整体師になり、タオ指圧をやっている。僕のまわりは、なぜかこういう人ばっかりだ。

岐阜ミーティングの後は、浜松に向けて出発。

浜松でアースキャラバンをしたいと言われている、みさとさん、アースキャラバンのパンフレットをデザインされた童規(とうみ)さんと会うためである。

≈ 10959804_753649868083906_9087364148769497798_n 

パンフレットのデザインをした童規(とうみ)さん

浜松ミーティングを終え、ようやく東京に向けて車を走らせた。夜、9時半ごろだったろうか?車の中で、必死にワークショップの内容を考えようとする。

だが、明日は演奏もある。このため、音楽が頭の中を巡りに巡っており、揺れに揺れるので(頭の中が)、ついに途中で諦める、、、。

 深夜に着いた東京。

居酒屋で遅い夕食を摂った。(、、、ような気がするが、忘れてしまった)

 

0
Posted in |

帰京して5日後には、アースキャラバンのため広島、長崎へと動いた。

かと言って派手なことなど何一つない。

人と会って話を聴く、夢を語る。

 

共有できるもの、相手と共感し合える何かを求めて、

電車に乗り、遠くへ行き、人を待ち、遇い、そしてまた1人になって歩く。

それだけ、だ。

 

中東でやっていることも、日本でやっていることも何一つ変わらない。

日本人だという意識も特にないし、そもそも自分は何か? というアイデンティティが、僕にはあまりない。 

 

正直言って、自分のレッテルを考えただけで、うっとおしいような気がするのだ。

だから本音を言えば、透明にんげんとか、風のような気分でいたいのです。  

 

長崎

広島で2、3日動いた後は長崎に移動。

長崎では、越智さんという、伝説のレインボーコンサートを始めた人に会った。

越智さんとは、原爆の残り火をリヤカーに積んで全国を巡ったという、山田和尚(バウ)さんの「偲ぶ会」で知り合った。

imgres

<山田和尚=バウさん>

 

 越智さんは、浄土真宗の僧侶をしていた時期もあるということで、何だか気が合うように感じて、また会いたいと思っていたのだ。

 僕が長崎に行ったちょうどその日、越智さんはデニスバンクスというアメリカインディアンの活動家の長崎イベントをオルガナイズしていた。

そこに行った僕は、デニスと25年ぶりぐらいで会った。

2015-12-02 21.24.19

 <デニスの長崎イベント>

 

そのときに、ぼんやりと思い出した。

あれは25年ぐらい前のことだったと思う。

 

デニスはアメリカを横断するサークレッドランというイベントを企画していた。

僕はそれにミュージシャンとして参加するという話があって、参加呼びかけの集まりに行ったのだった。

 

それでここからが面白い。(←自分的にはね)

実はアースキャラバンのテーマ曲「SHARE!」は、サークレッド・ランにミュージシャンとして参加した際、テーマ曲にしようと思って創った曲だったからだ。https://www.youtube.com/watch?v=EiXX-bWemRw  

 

理由は忘れたが、結局いろいろあって、サークレッドランへの参加はしなかった。

だから歌詞はできなかったが、曲は残った。

そして、アースキャラバンのテーマ曲として復活したのだった。

e0401_01cd 

<18カ国のミュージシャンが16言語で歌うCD『SHARE!』>

 

歌詞を書いたのは、2014年の夏だからずいぶんたってからの話だな。

それは、ガザ空爆で足を失ったパレスチナ人の子どもを見舞ったことがきっかけだった。

http://www.earthcaravan.jp/share_lnotes.html

歌詞ができた時、これはアースキャラバンのテーマ曲として復活させようと思いたったのだ。

、、、ふとそんなことを思い出した長崎のデニス・イベントだった。

 

<追記>

上の写真の左側に映っている山田圓尚さんは、デニスと行動を共にしている人で、比叡山で僧侶をやっていたという。

LJという雑誌に僕のインタビューが掲載された時、彼のインタビューも同時掲載されいて、それで知っていた。

アースキャラバンの話をしたら、すでにご存知とのこと。

あらためてまた会うことを約して別れたが、何か一緒にできたら良いな。

 

、、、その翌日、僕は、越智さんの家に厄介になった。

0
Posted in |

ヨーロッパ・中東から帰国し、バングラデシュに行くまでは国内でウロウロしていた。

どんな活動をしていたかを一気に書いたみたが、全部一度に掲載するのはやめておくことにした。「なぜ?」と思われるかも知れない。

実はかなり以前、オーストラリア人の女性に言われたことがあったのを思い出したからだ。「あなたの生活って、想像しただけで疲労困憊するわ」って。

要するに、あまりにも忙しく動き回っている、ということを彼女は言いたかったんだろうけど、読者を疲労困憊させるわけのはいかないしなぁ、、、。

よって、数回以上に亘って細切れで投稿することにした。

、、、というのもあるんだけど、バングラデシュ活動記書くのも大変なんで、ちょっと時間かせぎ。なんちゃって。^ ^

*************

    <東京>

帰国してすぐに東京のタオ指圧クラスが2日間あるので、成田着にした。

中東にいるときなんだけど、会ったことのないFBフレンドの人から、会いたい、というメッセージが入った。それで、土曜日のクラス後の念仏会と法話ライブに来て頂いた。

「友遠方より来たるや、また楽しからずや」(だったかな? こんな感じの有名な詩があったな)だから、夕食もみんなで一緒にどうですか、とお誘いしたら、楽しいときを過ごしていただけたようで、良かった!

僕が帰ったあと、夜、センターに泊まられたそうだから、きっと楽しかったのだろう、と推察した次第。(ノリの良い人で良かったなー)

1458594_234565216746349_403280212_n

[後でにあらためて認識したのだが、知子さんは原爆の残り火を韓国まで運んだ内の1人。いろいろ他にもつながっている人がいることが判明]

  ******************************************************

       <京都>

京都に帰り、すぐに音楽のリハーサルを始めた。キリスト教会で平和イベントがあり、その出演予定があったからだ。

帰京した夜には、教会でミーティングと京都新聞の記者さんによる取材で、

記事はこちら→ http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20151126000049

テルアビブの海外テラスでは、地中海の日差しを浴びていた。、、、というのに、気がついたら京都で、温かいお茶が冷えた手にありがたいのが不思議な感じがした。

12312502_141434196221365_1009761882_n-1

 [リハ風景、教会に僧衣では浮いてないかなー]

2e451b43-7bb4-4812-9e73-238c663fcfe1
[バプテスト教会牧師の今野さんと知り合ったのは左側の絹枝さんの紹介だった。彼女との縁もまたドラマティックな話なので、それについては、いずれまた。右はシリアンハンズというNGOのアザさん(京都大学研究生)アースキャラバン京都以来の付き合いである]

12319272_139969016367883_636515594_n

2日後に僕は京都を出発し、広島・長崎の旅に出た。アースキャラバン2016のためである。そしたら長崎で、25年ぶりぐらいで会った人がいた。アメリカ・インディアンの活動家、デニスバンクス。なんとちょうどその時、長崎でイベントをやっていたのだ。

-続きは、長崎から-

 

 

 

 

 

0
Posted in 未分類 |

パレスチナ西岸地区、ヘブロンの劇場でのイベント終了後、以前から知り合いのアリという人に、最近事件があった病院に連れて行ってもらった。

2015-11-17 18.32.11

<左がアリ。右が事件現場に居合わせた看護師>

 

その事件というのは、何ともやり切れない話である。

イスラエルの武装警察20人が、変装してヘブロンの病院に潜入した。入院していた反イスラエル政府活動の容疑者を拘束しに行ったのである。

(もちろんイスラエルのTVなどのマスコミは、その人物を「テロリスト」と表現していた)

 

ここで理解して頂きたいのは、戦前は日本でも共産主義者を赤狩りして刑務所に入れた。

対ナチのレジスタンスも、テロリストとして刑務所に入れられていたのである。

その反イスラエル政府活動家を拘束しに行って、けが人を守ろうと止めに入った民間人のいとこを含めて2人を射殺した。(これって、イスラエルによるテロではないのか?)

案内されて行った病室の天井には、血しぶきの跡まであった。さらにそれは、同室の14才の少年の目の前で行われたのである。

2015-11-17 18.31.38

<病院の中>

現場に居合わせた看護師からも詳しい話を聞いた我々は病院を後にした。

やり切れない想いが残った。僕はしばらくの間、笑えなかったし、口をきくのも億劫だった。

 

それでもパレスチナ人たちは希望を失わず、未来に希望をつないで生きている。

世界の人々が現実を知り、声を上げてくれる日を待っている。

そして、私たち海外から来た人間を精一杯歓迎してくれる。

 

だから僕も目をそむけてはいけないと思う。

そして世界で最も人権がないがしろにされている場所の1つであるこの地を、平和な場所にするという夢を捨ててはいけないと思う。

 2015-11-18 14.19.17

<地中海>

 

今日は最後の活動日だった。

朝、まずはパレスチナのラマラでニッキーさん、れいなさんと別れ、

エルサレムまで戻る。

エルサレムまではマガリが迎えに来てくれた。

2015-11-12 11.01.35

<マガリ>

 

今日も、ハードスケジュール。なにせテルアヴィブで、ミーティングが7つも入っているのだ。

1人目は、軍事行為やテロで子どもを失くしたイスラエル人/パレスチナ人の親の会の会長。近く大本教の招きで、日本に行くという話だった。

2015-11-18 13.08.38

 

2015-11-18 17.20.24

<女性反戦グループとのミーティング>

2つ目は、あれ? 何だったけ?

とにかく、次から次へとミーティングだった。

途中、映画監督のガイ・ダビディとも会った。

「五つの壊れたカメラ」という、ビリン村のパレスチナの平和的抵抗運動を描いたドキュメンタリー作品でオスカー賞にノミネートされ、ハリウッドまで行って来た人である。

TIMEというアメリカの雑誌の表紙にまでなっていたが、イスラエルでは妨害を受け、その後は大変らしく、とうとうニューヨークに引っ越すことにしたという。

2015-11-18 15.07.19

<映画監督のガイ>

 そして夕方には、女性運動家たちともミーティングしたが、こちらはテルアビブでやるアースキャラバン・イベントに関心を持ってくれた。

さらに引き続き、ミーティングを行い、具体的な話を詰めていくことになった。

 最後は、タオサンガ・ミーティング。まずは定期的に修行の会を行っていくことになった。

どうやらアヴィとエリシェバは、日本に来てしばらく(1年とか)修行したいらしい。

ああ日本に、タオサンガ・ビレッジができていたらな、と思う。

できるはずだったリトリート・センターを、やっぱり創らなくては、、、。

2015-11-18 18.07.44

<タオサンガ中東・再建メンバー/みんなハッピーそうだ。それにしても、不思議なものである。タオサンガをやめてしまう日本人がいるかと思うと、”来世でも良いから”と何年も待っていたイスラエル人がいるのだから>

 

、、、すべてのスケジュールが終わったのは21時半。出発は朝6時だから、朝3時には空港に行かなくてはならない。、、、となると夜中の1時起きかぁ。(←寝る時間じゃないか)

 

以前に比べたら出入りはスムーズになったものの、テルアビブの空港に行くには、まだ相当の緊張が残る。マガリは、朝2時に迎えに来てくれる、とのこと。

 

ホテルでなくゲストハウスなので、チェックアウトするにはややこしいものがあった。

(「誰もいなくなってしまうので、1度出たら忘れ物があっても戻れないよ」と言われた)

それでも1、2時間うっすらと寝た後、なんとか暗い宿を後にした。

0
Posted in |

11月15日夜

 オマールの家からの帰り道、イスラエル占領軍の検問所を通る。パスポートを出せと兵士が言い、運転手のジョセフが焦って「出して!」と怒鳴るように言う。

images

<写真はネットからのイメージ>*検問所で写真を撮って、ややこしいことになったことが2回ほどあるので。

ムリもない。先日、カバンの中身を見せなかっただけで、17才の女の子が射殺されている。 毎日2人ずつ殺されている、という。すべて近所と言って良いほど、この狭い地域で。

イスラエル政府は高さ8メートルの壁を各地に延々と建てている。そして、イスラエル占領軍による検問所を設け、パレスチナ人の生活全般を困難にしている。

何のために? テロリストを発見逮捕するためという名目。だが、違う。パレスチナ人の生活を困難にするために、だ。(その意図に世界の問題が凝縮されている)

これでは石の1つもぶつけてやりたくなるのはムリもない。しかしその報復は逮捕拘留、催涙弾。最近は耐え切れず、中にはナイフで向かっていく人も出て来たというが、結果射殺される。

一体、誰のせいなのか。本当の敵は誰なのか? 人間の目覚めが待たれる。

11月16日

エルサレムを出発し、ベツレヘムに向かう。ベツレヘム・フェスティバルを主催するホリーランドトラストというキリスト教系の人権団体の実行委員会とミーティングするためだ。

意外だったのが、エリヤスたちが超日本大好きだったことだ。

来年のベツレヘム・フェスでは、大きな日本コーナーを設けて日本文化を紹介したい、と。

 どんなもの? と聞いたら「指圧、着物、お茶、サムライ、寿司(かっぱ巻とか)とのこと。

 なんとサイードは、マントラ瞑想をやりたいとまで言い出した。うん、それなら念仏ヒーリングをやろう。

8月6日は、広島原爆慰霊祭をやろうよ、異宗教合同で。いろんな国の大使も呼ぼう、と話はどんどん盛り上がる。着物を来たくてたまらないというララは、すでに興奮気味であった。

2015-11-16 13.06.49

 <今回、サミーは海外だかどこかに行っているので、エリヤス、ララ、サイードと。日本女性は増山麗奈さん>

次のミーティングは、ベツレヘム大学のマージン教授とである。マージンは、世界中で講演していて、日本にも呼ばれて広島と長崎でも講演している。また奥さんは満州人で、アメリカの大学留学中に知り合った、という。

 パレスチナの環境教育のために特別なガーデンを造っており、案内してくれたのだが、しばらく歩いている内に目がチカチカし、吐き気もして気分が悪くなった。

 何年か前、ビリン村の非暴力抵抗運動のデモに参加し、イスラエル兵の放つ催涙弾を浴びた時の感覚に似ている。マージン教授も、「ダメだこれは、室内に入ろう」と促した。

 中で話を聞いたら、イスラエル兵が住宅地に催涙弾を蒔いている、とのこと。イスラエル軍がパレスチナ人に対して化学物質の入った黄色い液体を放射しているのは知っていたが、催涙弾の中身の物質まで蒔いているというのは知らなかった。

 他のパレスチナ人は、「これに耐えたら健康に良いよ」なんて冗談を飛ばしていたが、そうでも思わなければやってられないだろう。子供達はどうなるんだ!?

2015-11-16 16.43.32 

2015-11-16 15.11.21

 奥さんがお昼を買いに行ってくれたが、数分で行けるところなのにいつまでも帰れない。途中で尋問にあった車があって渋滞したり、検問所があったりと、まったく日々の生活が脅かされている。

2015-11-17 12.24.53

 武器を持たないパレスチナ人と、機関銃を持って武装しているイスラエル兵(そして入植者たち)。

 「テロリストだ!」とニュースで流されている被害者と、「パレスチナ人はテロリストだ」と教育&マスコミによって思い込まされ、すっかりその氣になっているイスラエル兵。(そして世界の人たち)

 日本人だって、つい70年前まではほとんどの人が「鬼畜米英」を本気で信じていただろうけど、、、。教育とマスコミによる洗脳は恐ろしい。

 

11月17日

朝、オマールと2ミーティング。

2015-11-17 10.05.27

来るなりショッキングなことを聞く。彼の近所に住んでいる友人が、昨夜イスラエル軍に殺されたという。明るくてとっても良い奴だった。イスラエル当局に、抵抗運動によって投獄されている友人と通じていると疑われた。

そしてイスラエル軍の一個小隊が、家族の自宅を夜中に襲い、家中をめちゃくちゃにしに来た。それを止めようと、近所の人が一丸となって守ろうとしたが、友人を含めて2人が殺され、11人が重軽傷を負った、という。

それから、いろいろと突っ込んだ話をした。

その後、来年のプログラムについて、アースキャラバンについていろんなアイデアを出し合った。

別れ際には、2人とも泣きそうになり、お互い泣き顔がばれないように顔をそむけ合った。

その後、現在危険地域と言われ、日本大使館にも来ないように言われている、というヘブロンへ向かう。(イスラエル兵が1500人展開しているという話もあった)

しかし、実際に来てみたら何ということはない。日々の生活を営む、世界のどこにでもいる普通の人々がいるだけだ。

僕はパレスチナで恐ろしい思いをしたことはない。それどころか、皆人懐っこく、気前が良く、お茶をごちそうになったりする。むしろ恐ろしいのはイスラエル兵であって、パレスチナ人ではない。

そしてイスラエル兵は、こちらが普通のことをしている限り、外国人に手を出すことはない。(また、外国人が近くにいれば、イスラエル兵によるパレスチナ人への暴力が減るそうだ)

要するに、パレスチナは安全なのである。

パレスチナ人はテロリストというのは、マスコミが流しているデマなのである。原発の放射能が安全だ、健康被害などない、というのと同じように。

いやむしろ、欧米や日本よりもよほど人々に温かみがあって居心地が良い。これは現地に行った誰もが感じることである。

何と言っても、パレスチナで観光客が死んだことは一度もないのだ。(これはパレスチナ観光庁のお役人が言っていたそうだ)

 

ヘブロン LIVE

 今回のイベント会場は、 夏にアースキャラバンで来たとき、8月6日に広島原爆をテーマにした芝居をやった劇場である。

 どうやって知ったのかわからないが、エルサレムにいた時にメールをもらい、広島原爆の残り火を持って、芝居の後に挨拶したのだった。

 その縁で、今回のイベントを取りもった。

劇場では、まずLIVE演奏した。パレスチナの人たちはノリが良いので、ライブは凄く盛り上がった。

 そしてニッキーさんのソロ演奏(これも大盛り上がり)のあと、2人でアースキャラバンのテーマ曲「SHARE!」 を、Be Free Parestine !(パレスチナに自由を!)という歌詞で、みんなで歌った。

 その後、麗奈さんがプロデュースした映画、「サダコの鶴」(SADAKO’s CRANE)を上映。

sadako1-1

2015-11-17 17.40.10

 イベント終了後に後片付けをしていると、「ぜひお話ししたい」とやって来た女性がいた。何でも、ムスリムだけど仏教の大ファンで、内なる平和のために瞑想なりマントラを学びたい、と。バングラデシュに留学していたこともあり、その時にヨガも習ったと言う。

来年に、ベツレヘムでワークショップをやるから、と伝え、その後はメールでやり取りしましょう、ということになった。どうやらパレスチナにも仏教ブームがやって来そうな感じである。

***

ところで 2003年、第一回目のタオ指圧世界大会を2週間に亘ってタイでやった。120人ぐらい参加者がいたが、4人のパレスチナ人を招待した。ヘブロン在住のアクラムもその内の1人で、その後も交流は続いていた。

 今回、連絡したら、スエーデンにいるということで、代わりにアリという友人が来てくれた。彼に頼んで、1週間前にあった衝撃的な事件が起きた病院に連れて行ってもらった。その事件とは、、、。(続く)















0
Posted in , 未分類 |

11月12日

テルアビブではワークショップがあるにも関わらず、アースキャラバンの準備を怠るわけにはいかなかった。

前日も、イスラエル人平和活動家のアダムケリー(グッシュ・シャロームという平和団体)とミーティング。

実を言うと、こうした活動家とのミーティングというのはそんなに楽な仕事ではない。

まずは礼儀として彼らの活動についての話を聞き、その後アースキャラバンとの接点を探す。だが、その彼らの話がいつも果てしなく長く続くのである。

へたをすれば話を聞くだけで終わりそうになるぐらい。

そこで、お互いに協力し合えるポイントを探すように、話を持って行くのに必死になる。つまりは、超人的な集中力と忍耐を必要とするのである。

そうしたミーティングを終え、その後は、タマールの旦那さんとも合流して夕食に行く。(ごちそうしてくれた彼の心遣いがありがたかった)

2015-11-12 20.53.52

 (左から、ノアム、タマル、マガリ、ニッキーさん)

思えば、パレスチナの現実をまだ何も知らない頃、毎年来ていたイスラエルのワークショップには50人から80人もの参加者がいた。

僕といえば、地中海ビーチの前の4つ星ホテルに泊まり、美味しいものを食べ、リゾートまで楽しんでいた。

でも真実を知ってしまった今、もう前と同じようにはできない。

なるべく安い宿に泊まり、主に時間は活動家たちとのミーティングに費やし、この占領をどうやって終わらせるかについて話し合う。テルアビブのビーチでリゾートなど遠い夢の話である。

そしてもちろん、今の方が、生きているという確かな実感がある。

11月13日

2015-11-14 15.50.12

2015-11-14 15.52.33

<もう2度とイスラエルでワークショップすることはない、と思っていたが>

朝9時から5時まで続いた1日目のワークショップが終わり、マガリたちと夕食を取り終わった頃、突然ニッキーさんから電話が入る。

なんでも、イスラエルのサイエントロジーの知り合いにアースキャラバンの話をしたら、ぜひ会いたいと言っているとのこと。

アースキャラバンの未来につながるわずかな可能性でもあれば行動するという主義なので、早速マガリと一緒に彼らのいるところに向かう、、、。


11月14日

ワークショップ2日目が終わる。

実を言うと、中東でのワークショップなんて、悪夢のように大変になることを覚悟していた。

それは、かつて9年間に亘り、毎年イスラエルでワークショップやって来た経験からだ。(今年アースキャラバンでやった、イスラエル人パレスチナ人合同のワークショップもちょっと大変だったしなぁ、、、)

2015-11-14 17.16.27

ところが、だ。

最初からタイトルを堂々と「氣の悟り ー願いを実現するタオ指圧&念仏ワークショップ」にしたせいだろうか? これがまた、信じられないほどスムーズに行ったのである!

もっとも、参加者のほとんどが身体に痛みを抱えており、次から次へとデモンストレーションで症状を取っていかなければならなかったのではあるけれど、、、。

それでも、そのかいはあった。

中東のタオサンガが復活することになった、という確かな手応えがあった。

ワークショップ参加者の氣の悟り体験は、深いものになり、これから続けて修行して行く人たちが生まれたのだ。(このワークショップの結果は、東京の時よりもよほど良かったのではないか!? )

願わくばこのイスラエル人たちが、占領され苦しんでいるパレスチナ人のために立ち上がって欲しい。そう心から願うばかりだ。

15日

日本を出て以来、2時や3時に起きてしまう。(このところ肩の痛みがあるせいかどうかはわからないが)今日は4時半だったので少し良くなってきたかな。

もっとも、10時ごろには寝てしまっているので、案外、健康的ということかも知れない。

テルアビブのゲストハウスを出て、エルサレムに向かう。

それにしても、毎度のことながらアラブ側に来るとホッとして気持ちがくつろぐのが不思議、、、。

2015-11-15 14.20.58

 

エルサレムではニッキーさん、麗奈さんと合流。11時には、ニッキーさんがセットしてくれた南アフリカ出身でパレスチナ在住のイギリス人活動家と会った。(やはりちょっと話が長かったけど、、、)

12243510_1687483758136604_2462870882149381700_n

2015-11-15 12.56.25-2

夕方は、サビールというキリスト教系の人権団体のオマールの家に招かれミーティング。オマールは、今年のアースキャラバンでも世話になった。

オマール夫妻は、凄いきれいなマンションに住んでおり、パレスチナの美味しいビールと手間ひまかけたアラブ料理で、われわれをもてなしてくれた。

2015-11-15 18.26.37

 

オマールは、来年のアースキャラバンのプログラムについて、彼なりにいろいろと考えてくれていた。

例えば、「エルサレム旧市街の城壁を、人間の鎖で取り囲もう。広島原爆の残り火を灯したキャンドルナイトで!」という案。

また「海外参加者、イスラエル人、パレスチナ人で一緒に、深夜に村々を巡礼して歩こう!」などの僕がまさに願っていたようなことを言い出してくれて驚いた。

そしてオマールは、パレスチナ側の実行委員長になってくれることになった。シュクラン(ありがとう)! オマール。

  2015-11-15 20.43.25

 

 

 

 

0
Posted in |
洗濯物までしてくれた(涙)オーストリア人の霊感女性アリスが中東に向かう僕を空港まで送ってくれた。
 
アリスは医者でタオ指圧をやっている念仏行者。霊感が強いので、その体験話はとても興味深い。(和田寺タオサンガ発行の「寺がーる」というフリペにインタビュー記事が連載されているので、興味のある人は読んで下さい)
 
世界の裏で操っている勢力の正体について僕が講義(今回のウィーンの)で言わなかったことが何であるかまで言い当て、かつ内容を理解していたのには驚いた。
 
この柔軟さ、ノリの良さ。アリスが僕と一番気が合うのは、何と言っても彼女がチャトランガ大好き人間のところである。
 
アリス
 
 
さて空港に着いたら、以前あった、テルアビブ行きの飛行機の乗客全員に面接尋問というのがなかったので驚いた。
パレスチナの外交官も言っていたそうだけど、イスラエルは評判の悪かった入国の際の鉄壁の構えを緩めたようだ。
 
テルアビブの入国審査でも「どこでワークショップするのか?」、とか「あなた坊さん? そう見えないけどね」と言われたぐらいで、あっさり通された。
 
迎えに来てくれたのは、イスラエルのタオサンガメンバーのタマールである。
 
 (タマールの写真は取り忘れたので、後で追加掲載します)
 
タマールとアリスには微妙に共通点がある。
 
3人の子持ち、旦那は弁護士言わばエリート。(アリスの旦那は医者) 
 
タマールは、大学で数学を教えているぐらいだから、きっとアリスと同じように子供の頃から優等生だったのだろう。
(関係ないけど僕は名誉ある高校中退)
 
そして2人とも念仏には熱心だ。
 
僕はアリスには人生への憂いを、タマールには悲しさを感じる。
 
どちらも霊性の土壌となる大切な肥料である。
 
心が飢えている自分に気づいてこそ、人は物質を超えた世界を求め修行する。
 
いや逆かぁ。
物質を超えた浄土世界を予感するからこそ、人として生きることへの憂いや悲しみをより多く感じるのだ。

 

 

 

 

 

 

0
Posted in , 未分類 |